日本のどの地点に居ようとも、「上り」にしたがって異動すれば必ず東京(=首都)に到着することができます。

 

なぜならば、日本のすべての道や路線は、そうなるように整備されているからです。

 

このことについては、2023年10月13日の記事に書きました。

 

 

 

ところで、仏道修行者がニルヴァーナへと向かおうとする場合、何にしたがえばよいのでしょうか?

 

それは、

 

 「真実のやさしさについてを知ろうとすること」

 

であると言えるでしょう。

 

何となれば、これが仏道修行者が真実を知ろうとすることと軌を一にするものであり、この追究の過程においてこそ功徳が積まれることになるからです。

 

ただし、「上り」を「登り」であると誤解してしまうと東京に着くことはできないように、「真実のやさしさ」と「お涙頂戴(人間の知見)」とを混同してしまうと、ニルヴァーナではない処に行き着いてしまう恐れがあります。

 

このことについては禅の六祖慧能ブッダが、注意を喚起しています。


「〜心が進んでゆくと『法華経』を転ずることができるが、心が立ちどまると『法華経』の方が心を転ずる。心が正常であれば『法華経』を転ずることができるが、心がまちがっていると『法華経』が心を転ずる。仏の知見を開くと『法華経』を転ずることができるが、人間の知見を開くと『法華経』に転ぜられることになる。 大師はいわれた、「つとめて正法の通りに行ぜよ、それが経を転じることだ」〜」(柳田聖山(1980)禅語録 p156(中央公論社・世界の名著18)法達の参門)

 

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