覚りの道は、自然発生的なものなのでしょうか?
微妙な問いですが、答えは「否」ということになるでしょう。
何となれば、覚りの道は人の美意識に根ざして見出させるものであり、この一なる道を歩むことについても同様だからです。
このため、道の歩みはおどろおどろしいものではなく端正なものとなり、功徳を積むことについても美意識が保たれた状態で遂行されることになるのです。
その結果、仏道修行者は楽しみと栄えとともに道を歩むこととなり、そこには目を背けたくなるような苦行や怪しげな修行など何一つ存在しません。
道は広大で平らか、進むことに危険がない。
邪魔をする者はなく、誰かにぶつかることも、迷うことも、行き詰まって身動きが取れなくなることもない。
例えば、鏡のように落ち着いた水面を船が滑るように仏道修行は進むことになります。
そうして、修行者はまっすぐにニルヴァーナへと近づき至るのです。
すなわち、仏道修行者は美意識を保ち、凜として修行に邁進すべきであるということです。
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