人は皆、しあわせを求めていることでしょう。

 

しかしながら、ある者は知ってか知らずかその求めに相反する行為を為し、自分自身を損なってしまいます。

 

これについて、釈尊の原始仏典に次の理法を見ることができます。

 

19 鉄から起こった錆が、それから起こったのに、鉄自身を食い尽くすように、悪を為したならば、自分の業が、静かに気をつけて行動しない人を悪いところ〈地獄〉にみちびく。(感興のことば・ウダーナヴァルガ 第九章 行ない 中村元訳 岩波文庫)

 

また、別の仏典には、

 

1 芭蕉は実がなると滅びてしまう。 竹や蘆は実がなると滅びてしまう。牝の驢馬は自分の胎児のために滅びてしまう。 そのように、悪人は尊敬をうけると滅びてしまう。

2 愚かな者は知識が生じても、ついにかれには不利なことになってしまう。それは愚かな者の幸運を滅ぼし、かれの頭を打ち砕くであろう。

 

3 善くない人々は、利益を得ようと願い、修行僧らのあいだでは尊敬を得ようとし、僧房にあっては慳みの気持ちを得ようとし、他人の家に行っては供養を得ようとする。

4 「在家の人々も出家した修行者たちも、つねにわたくしのことを知れ。およそ為すべきことと為すべからざることについては、わたしの意に従え」...

5 愚かな者はこのように思う。こうして欲求と高慢とがたかまるのである。利益を得ようとするよすがは、ニルヴァーナに至る道とは異なっていることに気がつかない。(感興のことば・ウダーナヴァルガ 第一三章 尊敬 中村元訳 岩波文庫)

 

ある者は、どうしてこのような愚かな行為に走ってしまうのでしょうか?

 

それは、かれの欲心ゆえのことであると説かれます。

 

1032 アジタさんがたずねた、「世間は何によって覆われているのですか? 世間は何によって輝かないのですか? 世間をけがすものは何ですか? 世間の大きな恐怖は何ですか? それを説いてください。」

1033 師(ブッダ)が答えた、「アジタよ。世間は無明によって覆われている。世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない。欲心が世間の汚れである。苦悩が世間の大きな恐怖である、とわたしは説く。」(ブッダのことば・スッタニパータ 第5 彼岸にいたる道の章 2、学生アジタの質問 中村元訳 岩波文庫)

 

そこで、仏道修行者は「徳行」に篤く精励すべきことが説かれるのです。

 

ここで、欲心の根源は執著(我執および愛執)であると説かれ、妄執を断じることによってこれらを滅ぼすことを得ると説かれます。

 

その妄執を断じるものが、智慧に他なりません。

 

そして、功徳を積む人がついに智慧を生じると説かれるのです。

 

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