私(=SRKWブッダ)は、仏道修行の一つの方法としてあり得べき省察を行うことを勧めています。

 

また、このあり得べき省察を一般化したものが観(=止観)に他なりません。

 

ちなみに、あり得べき省察のあらましについては2023年7月25日や2023年8月11日に記事を書いています。

 

 

 

 

ところで、あり得べき省察を行うことの本質的な意義は何なのでしょうか?

 

それは、「自分が何者であるのかを知る」ということに尽きるでしょう。

 

分かっているようで実は何も知らないのが自分の本当のところであり、実際にこれを明らめるのは容易ではありません。

 

あり得べき省察によってそれが明らかになったとき、修行者は心の底から覚り(=解脱)を求めるようになり、本当の意味での仏道修行が始まるのです。

 

***