仏道修行者は、次第次第に功徳を積み、以て自らの道を堅固ならしめて、因縁を生じ、ついに作仏することになります。
ここで、道を堅固ならしめるとはどういうことなのでしょうか?
それは、次のようなことなのです。
・ 正しい道がよりいっそう明らかとなる
・ 正しい道から逸れることがない
・ 正しい道を踏み外す恐れがない
・ この一なる道がニルヴァーナまで続いていることを確信する
・ 道中の不安がない
・ 道の歩みが楽しく栄えあることを知る
・ この道は自ら見出した道であることを了知する
要するに、道の全容がハッキリしてくるということです。
あとは、その堅固な道を歩んで行けばしあわせの境地たるニルヴァーナへと到達することを得るでしょう。
これについては、釈尊の原始仏典に次の理法を見ることができます。
○ 安定している堅固なこの道は、ただ〔口先で〕語るだけでも、あるいはまた一方的に聞くだけでも従い行くことはできない。心をおさめて、〔この道を歩む〕思慮ある人々は、悪魔の束縛から脱するであろう。思慮ある人々は、世のありさまを知って、実に業をつくることがない。思慮ある人々は、よく理解して、縛めを解きほごし、世の中にあって執著をのり超えている。(サンユッタ・ニカーヤⅠ)
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