仏道修行に勤しんで、自分では解脱知見を得たと思ってもそれが違っていた場合、彼は修行のやり直しをすることができるのでしょうか?

 

微妙な問いですが、結論を言えば「できる、が困難が予想される」ということになるでしょう。

 

と言うのは、この場合、異教や異端の徒が仏教を信仰するようになったというのとは違い、修行者本人の深いところに何か問題が潜んでいると考えられるからです。

 

なお、異教と異端と諸宗派については2023年9月11日の記事に書いていますので、興味ある方は参照されるとよいでしょう。

 

 

 

さて、修行のやり直しというのは通常の遍歴修行とは違う意味合いになります。

 

すなわち、彼は遍歴修行の最初の段階まで立ち戻ってそこから仏道修行をやり直す必要があるということになるでしょう。

 

そして、この最初の段階とは要するに仏教を始めて知った時点ということであり、それまで知っている仏教に関するすべてのことがらについて一旦リセットしなければならないということになるのです。

 

つまり、「どこが間違っていたのだろう?」などと自分自身に問えば修正できる状況ではなく、言ってみれば仏教理解がすべて間違っていたのだと考え、一からやり直さなければならない事態なのだということです。

 

例えば、新しい薬を創ろうと思って研究してきた人が、猛毒を作り出してしまったような状況なのです。

 

「自分には、根本的で重大な間違いがある。」

 

修行をやり直す修行者は、このように理解し、自分自身の根底について深く省察してそれを正さない限り、仏道修行そのものが成立することはないでしょう。

 

ただ、実際にそれを成し遂げ、しあわせの境地たるニルヴァーナを求める気持ちが残っているならば、彼は通常の仏道修行者として修行に励むことができ、ついには覚り(=解脱し)、ニルヴァーナへと到達することを得るでしょう。

 

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