運転免許を持っていて自家用車を保有している人ならば、自動車販売店に立ち寄って試乗車を運転してみる機会もあることでしょう。

 

ところで、販売店が試乗車を用意している理由は何なのでしょうか?

 

もちろん、実際に車を運転してもらい、新しい車の良さをアピールして販売に結びつけようとするのが狙いでしょうが、実際に客が新しい車に乗り換えるモチベーションが高まるのは試乗したことそのものによるものではないでしょう。

 

では、その重要な転機はどこにあるのかと言うと、それは試乗した後に自分の車を運転した瞬間でしょう。

 

もし、自分の車がオンボロに感じた場合、買い換えるモチベーションが高まります。

 

逆に、自分の車の良さが損なわれなかったならば、買い換えようと思うことはないでしょう。

 

ところで、しあわせの境地を求める修行者が聖求を抱いたことを自覚する瞬間が、これと事情が似ています。

 

具体的には、修行者が善知識(化身)や生き身の如来の言動に触れた後、自分自身のことを振り返ったとき、自分の有り様がみすぼらしく感じ、このままではいけないと思ったならば、それは聖求を抱いていることを自覚したのであると言って間違いないでしょう。

 

逆に、善知識(化身)や生き身の如来に触れたにも関わらず、自分の有り様や修行についての態度に変化がないならば、聖求を抱いていないと考えられるのです。この場合、覚り(=解脱)は遠いこととなるでしょう。

 

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