プロセスチーズを作るためには、その重さの何倍もの牛乳が必要となるだけでなく、長い熟成期間と特殊な加熱成形作業などが必要となるそうです。

 

具体的には、先ず原料となるナチュラルチーズ、すなわち牛乳を原材料として乳酸菌などの微生物の働きで乳を固めて発酵熟成させたチーズを作り、さらにこのチーズを原料として粉砕、加熱溶融し、乳化成形したのがプロセスチーズということになります。

 

なお、ナチュラルチーズ中の乳酸菌や酵素などの微生物はこの加熱溶融作業によって死滅するので、品質が一定でナチュラルチーズと比較して保存性に優れた食品となります。

 

ところで、プロセスチーズが出来上がったとき、間違っても「こんな物を作るために大量の牛乳が使われたのだ」などと否定的に糾弾する人はいないでしょう。

 

なぜならば、これ以外の方法によってプロセスチーズを作ることはできず、しかも出来上がったチーズは元の牛乳とは比較できない魅力的な味わいと保存性があり、高い値段で買い求められる品となるからです。

 

同様に、人が覚る(=解脱する)ことによって仏になったとき、その仏をけなす人はいないでしょう。

 

なぜならば、仏は人の究極の姿であり、すべての人が彼を尊敬するに値する存在だと等しく認めるに違いないからです。

 

ただし、作仏するためには世間のことがらを超えた仏道修行が必要となります。

 

具体的には、功徳を積むには世間的な利害関係を超えた活動が必要となります。

 

その様子を世人が見れば、意味のない、無駄な所業にしか思えないかも知れません。

 

それでも、人はその方法によってしか——功徳を積むことによってしか——人を超えた境地であるニルヴァーナに至ることはできないのです。

 

この理を知る人は、世人であってもニルヴァーナを目指して功徳を積む人を否定的に見ることはないでしょう。

 

そして、そのような理を知る人もまた、自分自身、功徳を積んで、ついにはニルヴァーナに至ることになるでしょう。

 

このようにしてニルヴァーナへと至ったとき、それが長期間保たれるどころか、それは一生涯にわたるしあわせの境地であることを知ることになるのです。

 

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