人がしあわせの境地たるニルヴァーナに至る道、すなわち仏道において最も重要な役割を果たすのが言葉です。

 

けだし、こころある人は、世に希有なる法の句を耳にしてその出自の真相を覚知し、因縁があるならば解脱を生じて仏となるからです。

 

このようなことから、仏道修行者は「耳聡き人」であるべきことが説かれます。

 

さて、耳聡き人は、耳にした言葉そのものに注視してそれを誰がどのように口にしたかについては気にしません。

 

かれは、言葉に翻弄されることがなく、静かです。

 

それゆえに、耳聡き人は、言葉によって心が汚されることがないと言われることになります。

 

要するに、かれは何を耳にしても、

 

 「ありのままに聞くのではなく、誤って聞くのではなく、聞かないのではなく、聞いて聞かなかった振りをするのでもない。」

 

という態度で聞くのです。

 

そうして、かれは、世に希有なる法の句を耳にしたとき、その言葉がこの世の通常の言葉ではないと察知することを得るのです。

 

さらにかれは、それが諸仏の真実のやさしさの表出そのものであることを了知するに至り、ついに作仏することになります。

 

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