堺の石津川沿いをのんびり走ってたら
何か面白そうな物を発見!
北畠顕家戦死の地。
北畠顕家と言う名、知らなかったんですけども、いつものwikiで調べてみました。
北畠 顕家(きたばたけ あきいえ)は、鎌倉時代 末期から南北朝時代 の公卿 ・武将 。
准三后 北畠親房 の長男 。義良親王 を奉じ、陸奥国 に下向したが、足利尊氏 が建武政権 に叛したため、西上してこれを九州 に追った。
やがて任地に戻るも、尊氏が再挙して南北朝が分立するに及び、再びこれを討とうとして西上し、和泉
で戦死した。
16歳で父の親房(後醍醐天皇に近侍し建武の新政 を補佐していた。後の「三房」 の1人。)と共に東北地方の統治を始める。
17歳時、足利尊氏 軍が鎌倉 にて建武政権に反旗を翻し京都 へ迫ったため、奥州の兵を引き連れて1日に平均40km弱も移動して600kmに及ぶ長距離を僅か16日で駆けて、新田義貞 ・楠木正成 とともに足利尊氏を破り、京から退去させることに成功する。また翌年(18歳時)、再度の入京を目指す尊氏を摂津国 で破り、尊氏は九州 へと落ち延びた(豊島河原合戦 )。
その後も足利方と相模や奥州にて戦い、20歳時、後醍醐天皇からの命により足利方と戦い、鎌倉攻略、さらに勝ちに乗じて膨れあがった兵を従え西へ進軍。しかし劣勢に回り、高師直との戦いにより最後は堺の石津にて戦死。
享年21。
21か...
余談ですが、武田信玄の代名詞とも言える「風林火山」の旗印を信玄よりも先に用いていたらしいです。
あと、堺に高師浜とか地名がついてたりするので気になった「高師直(こうのもろなお)」北畠顕家を倒した武将なのですが、調べてみると僕らの世代で「足利尊氏」だ!と教えられていた絵、画像。これが本当は尊氏じゃないのでは?って話は聞いたことがあったんだけど、それが本当は高師直だと言う説があるらしいです。
楠木正行 ・正時 兄弟らも討った名武将で、尊氏が征夷大将軍 に任じられ室町幕府 を開くと、将軍家の執事 として絶大な権勢を振るった人だったようです。
日本歴史のタブーとも言われる南北朝時代。実はこの時代(室町幕府も含め)に関しては全然詳しくなくて、たまたま通りがかった場所をキッカケに、少しだけだけど知ることが出来ました。
こういうのも縁だと思うので、色々調べてみようと思います。




