昭和フォークソングは楽しい 吉田拓郎
僕の好きなフォークソング歌手(作詞・作曲も含む)のトップスリーは、前の記事でも書いたように、さだまさし、井上陽水、そして吉田拓郎さん(以下敬称略)です。僕が若い頃に作った拙いフォークソング調のメロディーは吉田拓郎の影響を強く受けています。地方大学で助手(今の助教)として研究と教育に従事していた頃に、何となく魅力を感じる女性のために曲を作って歌って上げたり、当時大学院生だった友人(今でもそのうちの二人とは年賀状やメールのやり取りをしています)に頼まれて、その友人が片思いをしている娘に歌って上げるための曲を作って上げたりしていました。
僕には絶対音階は無いので(中学の頃に音楽の授業でやらされたChorübungenを真面目にやっていなかったことが原因でしょう)、ギターをつま弾きながら音を探っていくしか、作曲の音符取りは出来ません。それで、わざわざギターを買いに行って、フォークソングの伴奏のギターに長けた友人に初歩的なレッスンをしてもらい、20個ほどのコードを覚えて、作曲に取り掛かった訳です。
その時の友人から受けたギターのレッスン曲は、ほとんどが吉田拓郎の曲だったので、知らず知らずのうちに吉田拓郎の曲の影響を受けていたようです。「旅の宿」のEm, Am, G, B7の出だしや、「蒼い夏」のC, Am, C, Am, Dm, C, Em, Am, Dm, C、「結婚しようよ」のC, G, Am, C, G, Am Cなどは、その頃、いいなぁと感じたコード進行でした。
吉田拓郎は、数えきれないほどの優れた曲を作っていますが、その中でも歌詞を含めて考えてみると、やはり岡本おさみ作詞、吉田拓郎作曲の曲が優れているように感じます。上記の「旅の宿」、「蒼い夏」、「都万の秋」、「落陽」、「襟裳岬」などの名曲があります。岡本おさみとの合作では、それまでの吉田拓郎の曲には見られなかった人生のペーソスを自然体で表現しようとする心の落ち着きと言うものが色濃く伝わってくるような気がします。吉田拓郎の歌詞には少し足りない、深みのある心象風景が、岡本おさみの豊富な語彙で表現されているのです。
すなわち、岡本おさみの作った歌詞の文学性が、吉田拓郎の作曲による旋律とリズムの音楽性との間で微妙な共鳴を起こし、全体として一つの優れた芸術として昇華したことを暗示しているように思います。例えば、「襟裳岬」の歌詞は、詩としてはかなり難しいもので、例えば、この詩の中の登場人物が一体何人なのかが特定できません。そして「何もない春です」と言う結句に、人間の本質的な優しさと根源的な意味での無常観をベースにした、この詩の全ての思想と感情が凝縮されています。吉田拓郎は、その難解な歌詞にぴったりの秀逸な旋律とリズムを付与しているのです。
この曲は、森進一が歌謡曲として歌って大ヒットしましたが、森進一と言う歌手による曲想の理解と彼の独特な歌唱のもつ表現力とによって、さらに深みのある歌に高められ、聴く者に深い共感を呼ぶのでしょう。吉田拓郎自身も、この「襟裳岬」を歌唱していますが、歌詞の持つ文学性をどこまで表現できているかを鑑みると、どうも森進一の歌唱の方に分があると思います。吉田拓郎の歌唱は、フォークソングが好きな人にはしっくりと来るのでしょうが、この曲の歌詞の持つ心理的な意味での重さ(無常観)と静謐な葛藤というものを考慮すると、少し明るすぎるように感じるのです。
今回は、この辺で僕の吉田拓郎の名曲についてのお話をお終いにします。ところで、「流星」と言う曲がありますが、この曲は吉田拓郎の作詞・作曲によるものです。編曲の鈴木 茂の力もあるのでしょうか、非常に心の奥底に食い込んでくる名曲です。そのうちに気が向いたら、この曲についてもお話ししてみます。