昨日(8月21日付)の毎日新聞の朝刊に出ていました
全国版しかも、銀座のパレードの記事のお隣に大きく出てました♪
ひめちゃんも出てました
http://sportsspecial.mainichi.jp/news/20120821ddm041050093000c.html
ロンドンパラリンピック・夢舞台:29日開幕 けががくれた贈り物 57歳、断念した乗馬で初の「世界」
毎日新聞 2012年08月21日 東京朝刊
「けがをしたことで神様から思いがけない贈り物をもらった」。今月29日開幕するロンドンパラリンピックを前に、馬場馬術に出場する静岡市葵区の浅川信正選手(57)が目を輝かせながら語る。少年時代からの馬好き。全国大会にも出たが、「世界の舞台なんて考えられなかった」という。7年前のオートバイ事故で車椅子生活を送る中、馬術にもう一度のめり込み、50代で初めて「世界」への切符をつかんだ。
05年8月、静岡市内の峠道でドライブ中に軽乗用車と衝突し、背骨を折った。ドクターヘリで搬送された病院で告げられたのは、「一生車椅子生活」との診断だった。
埼玉県志木市出身。高校進学後は、競馬場で厩務(きゅうむ)員のアルバイトをしながら、馬術クラブで練習を重ねた。妻の実家の地質調査会社を受け継ぐ一方、30歳で国内ランキング6位まで上り詰めたが、現日本オリンピック委員会会長の竹田恒和さん(64)らに阻まれ、国際大会への出場は実現しなかった。
けがをしたのは、夢だった乗馬クラブ開業が間もなくという時期だった。胸から下は動かなくなった。「事故後、馬術のことは頭から消えました」。会社経営は長男に譲り、馬術に専念しよう。そんな第二の人生の夢も一時はあきらめた。
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転機は、やはり「世界」だった。08年に知人の誘いで北京パラリンピックを視察する。腕や足を失った障害者らが巧みに馬を操っていた。「自分もできるかもしれない」。帰国後、まず馬上にまたがってみた。事故から3年後の挑戦だった。
最初は一歩進むだけでのけぞった。腹筋も背筋も機能しない。ただ、「無謀なことをして……」と周囲がささやくのを聞き、熟年の馬術師魂に火が付いた。足元のあぶみで踏ん張ることはできなくても、両腕は自由に使える。取っ手のついたくらを特注し、左腕で体を支え、右手にむちを持つ。馬とのコミュニケーションの武器は「声」だ。
10年には擦り傷からばい菌が入り手術を受けたことも。それでも自ら国際大会の日程などを調べてエントリーし、ポイントを重ねてロンドン出場権を勝ち取った。
待ち焦がれた世界最高峰の大会。今年3月からペアを組むオランダ産12歳牝馬と臨む。「一度は諦めた乗馬で大舞台に出場することは夢のよう。思いっきり楽しみたい」と少年のように声を弾ませた。【和田浩幸】
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