2012年6月29日
本日付けの朝日新聞に載ってます(34ページ)
見てみてください
http://mytown.asahi.com/shizuoka/news.php?k_id=23000001206290002
事故・病を越えパラリンピックに/浅川さん
2012年06月29日
ロンドン五輪後に開催される第14回夏季パラリンピック・ロンドン大会の日本代表が、7月3日に発表される。県勢で内定している一人が馬術の浅川信正選手(56)=静岡市。7年前の事故で胸から下の自由を失いながら、肩や腕でバランスをとって馬を操る。北京大会に出場した渋谷豊選手(浜松市)に続き、ただ一人の馬術日本代表として世界に挑む。
■「最高の技見せたい」
「20代でかなわなかった夢が、今ごろきました」。初出場を祝福されると、浅川さんはそう言って笑う。幼少時からあこがれた乗馬を15歳で始め、障害飛越で国内トップクラスの活躍を続けたが、世界大会には縁がなかった。「障害を負ったお陰。神様からの贈り物だと思っています」
2005年8月、オートバイで山道を走行中に乗用車と衝突し、胸椎(きょうつい)を損傷した。胸から下は感覚もない。立ち上げた「静岡乗馬クラブ」の施設完成を控えていたが、1年の入院を経て乗馬からは遠ざかった。
転機は08年。関係者の誘いで、渋谷選手が参加した北京大会(馬術は香港で開催)へ行き、パラリンピックに馬術もあることを知った。鞍(くら)を特注し、久しぶりに馬の背へ。「腹筋もきかない状態で乗るなんて初めてで、最初は怖かった。でも徐々に慣れましたね」
10年10月、障害者馬術が初めて正式種目となった世界選手権で、7位と健闘する。ところが、その年の末、再びアクシデントに襲われた。左臀(でん)部の擦り傷から菌が入って骨髄炎に。一時は生死をさまよった。「40度の発熱が1カ月以上続き、人相も変わって、もうだめかと覚悟しました」と妻やゑ美さん(58)。
そこからの復活は周囲を驚かせた。昨年5~6月の再手術で危機を脱し、7月に退院すると、ぎりぎり間に合ったロンドン行きの懸かる国際大会でポイントを重ね、出場権をつかんだ。
やゑ美さんは「昔から、絶対無理だと言われることにも挑んで成し遂げる人だった。そんなパワーが運も呼び寄せるのでしょうか」と今も不思議そうだ。
愛馬のいるオランダとの行き来や転戦には、次男の晴央(はるちか)さん(29)が付き添う。父の事故後、米国の大学を中退して乗馬クラブの運営も手伝ってきた。けがの再発を心配しながらも、「じっとしていられない父だから仕方ない。本番はとにかく楽しんで競技をしてほしい」と晴央さん。
「夢のような舞台に挑めるのも家族のお陰。最高のパフォーマンスを見せたい」。浅川さんはそう抱負を語る。(杉山圭子)