ガバーンの名前をはじめて知ったのは、
当時私が県馬連のお手伝いをしているときだった。
国体関係の書類を作成すれば、必ず出てくる馬名。
当時、‘ローゼンリッター’という名前だったが、
他にも同じ名前がいたのでしょうか。
‘ガバーン’という名で登録された。
あの馬いいな~栗毛で筋肉もりもりマッチョマン!
いかにもヨーロッパ産のお馬さん。
かっこいいし見栄えもよくて素敵だし
当時の印象はこんなかんじでした。
決して大きいわけでもないのになぜか存在感がすごかった。
試合場に行けば必ずいて、すご~く速いわけでもないのに
なんだかいつも上位にいる馬。(もちろん乗り手も上手なのですが)
縁あってガバーンが私のところへくることになった!
なんだか夢のようだった。
あのガバーンに乗れる♪すごすぎる!
こんな素敵な馬に出会えて、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
ガバーンからはいろんな事を教わった。
年だったせいもあり、あまり無茶はさせないように大事に大事に乗っていた。
試合に出場するよりも、一日でも長く生きてほしかった。
私が騎乗してからは大きなタイトルは取らせてあげられなかったけど、
へたっぴな私を乗せて、気持ちよくコースを回ってきてくれて、
それだけでも嬉しかった。時々、入賞もしてくれてね。
そんな私も、出産したりで乗馬クラブへいく事も少なくなり・・・
人懐っこいからみんなに可愛がられ、みんなから愛され、みんなを癒し
ひいきめでみているからでしょうが、
こんなに素晴らしい馬はいたでしょうか。
食いしん坊で人懐っこくて、いつも冷静。
そしておとなしくて乗りやすい。
悪くいうところはところは一つもない。
厩舎ではいつもぐるぐる回ってオガが常に回りによせられてたね~
障害前ではじっとしていること、回転の速さ、安定したリズム。
踏歩変換は2歩ごとまでしてくれるし、セントジョージくらいならやってくれちゃうし、
その他へたっぴな私にいろんな経験をさせてくれた教科書みたいな先生。
踏歩変換、ましてや二歩ごとなんてそれまでやったことのない私はただただ感動~
ガバーンに乗る時間は楽しくて、嬉しくて、いつもわくわく感動、満足させてくれる馬。
外乗行ったって、の~んびりガバーン節発揮してくれて癒される。
今年に入ってから具合が悪くなり始めた。
水野さん、加藤さんが本当によく面倒&看病してくれて有り難かった。
安楽死の選択肢はわたしにはなかった。
最後、肺に水がたまってきてしまっていて苦しいかもしれない。
言葉を発しないので、実際の所はどんな状況だったかはわからない。
えさの食べる量は日に日に落ちていくのだが、
それでも厩舎の前に行くとこちらに来てくれて食べてくれる。
昔みたいにがっついて食べることはなく、休み休み食べていた。
立派な体はたしかに痩せこけてしまっていたけれど、
馬着でその姿が少しでも隠れていてくれて、なんだかよかった。
ステロイドを投与して、なんとか持ち直したりした。
最後の1週間は鼻血がでてたり、膿のにおいがしていた。
最後の日の朝は、みんなにマッサージしてもらい
足のむくみがすっかりよくなったね~なんて言ってたら血尿が出てきてた。
できたら自然に。いっそのこと朝厩舎へ行ったら死んでいたよ。
って誰か言ってくれたらな。
なんて思いながら、夜ガバーンに会いに行ったりしていた。
ガバーンが立っていると、なんだかホットした。あっ生きてくれてるって。
ここのところ心のモヤモヤはあった。なんだか落ち着かないいろんな思い。
安楽死しなくてよかった。
最後まで、そっと息を引き取ったガバーンをみて、これでよかった、と思った。
(もし安楽死していたらあと2-3日生きていたかもしれないとか、後悔だけが残っていたかもしれない)
最後、業者がきてトラックに乗せる時も、はるちかが
『前回来た人は物のように扱っていってこっちの言うこと聞いてくれなかったんだよ』
と言っていたが今回の方は、
『おじさん、この馬わたしの馬だから、丁寧に扱ってね』って言ったら、
ちゃんとこちらの指示通り丁寧に扱ってくださり、ありがたかった。
最期の最期まで見届けられて、悔いは残らず済んだ。
一時代終わったような感じがした。
運命っていうものがあるんだな~とガバーンを通して身近に実感した。
人懐っこく、みんなに愛されるように生きていると、最期までいい人生なんだと。
ガバーンと出会えて幸せでした。
ガバーン、ありがとう。
私にとって最高の馬でした。
最後にこの場を借りて、水野さん、加藤さんにお礼を言わせてください。
本当によく可愛がってくださりありがとうございました。
感謝しています。
さて、ガバーンはいくつだったんでしょう。
推定25-27歳くらいですが。。。