ガバーン号(2012年4月23日没)との思い出
平成13年宮城国体にむけての静岡県大会で、常連のベテランを下して優勝した馬がいた。
見た目はベテラン選手のほうが早く且つ近回りをしていたにもかかわらず、
ペース良く安定してゴールを切ったガバーンのほうが圧勝して驚いたことがあった。
その年の宮城国体では奥田君が騎乗して点数を稼いでいた。
翌年の2002年平成14年高知国体では岩崎雄一君が騎乗し少年競技で優勝を飾る。
2003年(H15)静岡国体でも雄一君が入賞してポイントをあげた。
変遷の激しい障害競技で連続して出場と入賞するという事は
ガバーンの素質の良さを証明しているといえる。
2004年(H16)埼玉国体に浅川牧子がリボリューションと出場したが、
国体で入賞するのは難しいものである。
静岡国体H15後にガバーンのいた厩舎の会員さん達が
静岡国体を機に移り変わったとは聞いていたが・・・
H16頃牧子にガバーンはどうかとの話があり、電話の翌日見に行く。
ガバーンは綺麗で筋肉もりもりのマッチョマンというイメージであったが、
痩せこけていまにも倒れそうであった。
回復しても乗れないかもしれないと思ったが、
それよりとにかく早く連れて帰って治療が必要と思い帰途につく。
省吾先生の治療の甲斐あって、半年後にはつま恋の障害に出場できるほど回復する。
初戦はあのガバーンがへろへろしながら低い80センチのコースをやっとゴールをきった。
しかし、その年の最後の大会ではベテランぞろいの120㎝のコースで優勝する。
事情を良く知る先生は、ガバーンが恩返ししたねと言ってくれた。
翌年の県大会で激戦の110㎝を制したのは牧子とガバーンであった。
スピード競技で皆すごい勢いで走らせ回転しゴールするなか
リズムよくさっと駆け抜けてきた牧子が当時スピードでは強い吉崎さんに勝ったので驚いた。
牧子はガバーンの冷静さと近回りの上手さから
安定したリズムの大切さを学んだに違いない。
(余談になるがハルがジョーとけんかせずに回れれば、
あと2秒は縮まる。といつも思っている)
無事これ名馬のガバーンは2007年に秋田国体を目指した私に
多くのことを教えてくれた。
脚の指示で後肢が重心下に入ったら静かに乗ることが大事であるとか、
また加えてセントジョージからインターメディエイトの舞台を踏ませてくれ
経験を積ませてもらえたから有難かった。
私が主戦馬のМJで悩んでいた時に
正しく扶助を使えば楽に駆け足の変換を体験させてくれて
自信とリズムを取り戻してくれた。
カバーンの一糸乱れないこのリズムは凄いなと思っていたが、
その後少し乗れるようになった会員さんたちも
上手く踏歩変換をするので何故だろうとは思っていたが、
この疑問は後に装蹄師の福村氏の言により謎は解けた。
彼は何百頭何千頭と馬に係わっているが、
こんなにも後ろ足の左右が整っている馬は数百頭に1頭だという。
№2へ続く