


「かっぱのへそ」
・・・と、言っても お菓子のこと。
このお菓子にも、ちょっとした物語があって、
田主丸町が、全国に知れわたる河童の町となった由縁には、
芥川賞作家火野葦平の存在があるんだって。
昭和16年に「浮羽文化会」の来賓として田主丸を訪れた葦平は
「鯉とりま-しゃん」の鯉獲りの姿に強くひかれ、度々田主丸を訪れます。
昭和30年の夏、葦平をはじめとする九州文学会同人たちが田主丸に遊んだ際、
まるか旅館での宴で彼らを顧問に田主丸河童族を結成しようという話が盛り上がり、
「九千坊本山田主丸河童族」が発足しました。
悠々たる信条を掲げ、
背に河童の顔を染め抜いた濃いうぐいす色の法被で白昼堂々町をのし歩き、
会費は「胡瓜代、皿用特級水」。
河童族は、いつも遊びの精神に満ちあふれ、洒を片手に飄々と夢を語っていました。
それが、夜明ダムの完成とともに筑後川の流れは一変し、
川を舞台にしてきた生業や人の流れは大きくかわったんだって。
初代河童族の面々は、鯉とりま-しやんこと上村政雄(愛称はあぶらま)、
あけぼのや藤田正登(ヘソ)、高山重城(赤べこ・新聞販売)、
行橋平八(代官・町収入役で後に町長)、福田秀実(坊主・住職)ら、
危機を感じた「河童」たちは、葦平の力を借りて酒を酌み交わしつつ夢を語り、
「楽生」の田主丸の名を広く知らしめた。戦後のまちおこしの先駆者たちでもある。
田主丸河童族が掲げた仕事は、
① かっぱ雑誌「九千坊」発行・季刊
② 放談会の開催 毎月一回
③ かっぱ碑、かっぱ大明神の建設
④ かっぱ祭りの主催
⑤ かっぱ土産品の研究
⑥その他河童文化昂揚に関する事業
特に土産品としては田主丸名物「かっぱのへそ」と「かっぱ萬壽」が誕生しました。
そう、「かっぱのへそ」なんです。
葦平が描いたかっぱ萬寿ののし紙。その試食には葦平も度々参加したという。
甘いお菓子ののし紙が、杯片手の酔っぱらい河童なのもご愛嬌。
その河童族を引き継ぐのが、
子河童族(第二世代河童族)です。
河童を語りながら田主丸町を活性化させるこの会は、
「なんでんかんでん屁のかっぱ」がモットーで義務や強制はいっさいなし。
「五分も釆てくれた」「こうもしてくれた」の「も」の精神で、
なにより自分たちが楽しむことが原点というのは
若竹屋十三代目の林田伝兵衛さん。
毎年8月8日には「河童大明神」大祭として
河童族による「かっぱ祭り」が行われます。
子どもたちが河童みこしをかついで町中を練り歩き、
鯉の放流、川の中でのバーベキューや花火など、
河童になったつもりで楽しむ祭りです。
田主丸小学校に子河童クラブができてからは、
親河童族、河童族、子河童族の三代そろいぶみ。
河童族の遊びの精神と飄々たる夢は、50年たった今も町の中に生きています。
・・・・と、みのうの豆本より抜粋させていただきましたが、
なーんか、こんな話をきくと良いっすね。
元気な、田主丸に
遊びに行ってみたくなったよ。
火野葦平の作品も読んでみたくなった。
