この数年、マスコミの報道なヒステリックになる一方で必要な情報がどんどんなくなっている気がする。今回のでの地震の報道も酷いなぁ、とくづく思う。地震の規模としてはさほど大きくないものの震源直下で震源が極めて浅かったから局地的に集中的にやられている感じなのだが、助ェに鉄骨が入ってない為に崩れたであろう建物ばかりを映す。いわゆる専門家の方々が崩れた建物の国zがどうの揺れのメカニズムがどうの、とウンチクを語り、現場は最善を尽くしている筈なのに救出、遅々として進まずみたいばトーンで喋る。そんな後講釈なんか何の意味もないのだ。自然災害は起きたら避けられないしその時にどうなるかは運でしかないのだ。それは身を以て経験したし、幸運だったから今もこうして生きているだけのことなのだ。外部の訳知り顔のそうした説明は当事者の神経を逆撫でするものなのだ。今回のの地震でのマスコミの残酷さは酷くて、まだ未成年の被害者に対してあれだけの極限状況の中に居た直後にインタビューをする始末。彼等の精神的なショックのことなど何も考えてない。知る権利が人権を蹂躙していることに気づかない。救出の際に右足を切断した男の子がサッカー部でキャプテンだったエピメ[ドを持って来て悲劇性をアピールした上でインタビューを取る。本人どれだけ辛いことか。もしかしたら足が壊死してるから切断やむなしだったのかもしれないのに、演出が先に来る。余りにも酷い。挙げ句の果てに病院に不法侵入して逮捕されるジャーナリストなるヤカラが逮捕される始末。何なんだろうこの非常識で傲慢な姿は。知る権利を錦の御旗にしているマスコミってのはそんなに特権階級的に人権に踏み込めるのだろうか違うよね。日本のマスコミはいわゆる衝撃映像的なものを見せてそれを興味本位で見せよう、ということでしか視聴率なり何なりを取れなくなっているのではあるまいか。災害中継であれば一瞬であっても死体映せるしね。そんな下衆な興味本位でしか視聴率を取ろうとしていないように見えるところに日本のマスコミの酷さを感じます。神戸の地震の時だってメディアでマグニチュード6クラスの余震が云々って報道したら現場でマグニチュードと震度の区別がかなくなって震度6の余震が、っていうデマになってデマに気をけてって、デマのもとはマスコミだったのに。現場でそういうニュースを聴かされる度に憤慨したものです。ともあれ、日本のマスメディアにはそういう無責任な体質が凄くある。多分で逮捕されたというジャーナリスト本人が記者会見で何か言うことはないだろう。日頃警察やら相撲協会やら問題起こした時に身びいきと批判するけど、マスコミもまた同じ体質であるからだ。の地震のおかげで沖縄のヘリパッドへの反対運動とか政治のゴタゴタとかがあまり報道されない。知る権利が制限されている感じだ。むしろツイッターやの方が役に立。中東諸国の人々が強権や弾圧の中でツイッターやフェイスブックで自由な情報を得て連帯していったのと同じような状況が日本にもあるように思われる。だって日本の放送事業は総務省の免許が必要で、当局に具合の悪いことを言ったら免許取り上げになるリスクがあるから政府サイドに都合の悪い報道はできないのであって、その意味で真の報道の自由は日本には存在しないんですよ。報道の自由っていうのがそもそも虚像なのだから、日本のマスコミは虚像の上に成り立メディアであってそもそも全部虚高ニも取ることさえ出来るし、報道される情報の取捨選択を見るに明らかに強力なバイアスがかかっていると見るのが自然です。しかも日本の場合、テレビ局と新聞社がグループ企業になってる。だからタイアップでプロパガンダがどうにでもできる。だから実は日本っていう国は報道管制されているようなものでしかないのではないか、とさえ思えてしまいます。神戸で大変だったので、災害報道を見ているとどうも過剰反応してしまう気がする。でもね、の地震が起きたことで霧島の噴火を一切報道しなくなったことが日本のマスコミの異常な体質を象徴していることだけは間違いないと思っているんですよ。