皆さん
おはようございます。
こんにちは。
こんばんわ。
副主任01です。
水俣病って当然知ってますよね。
四大公害病の一つですね。
聞いた事ないってアホはいないと思いますが、いたらPC・携帯・スマホでインターネットなんて10年早い。
小学校からやり直すか、死んでください。
知らない奴は外っておいて、説明に入ります。
~~~~~~~~~~~~
水俣病(みなまたびょう)とは
、
日本の化学工業会社であるチッソが海に流した廃液により引き起こされた公害病である。
世界的にも「ミナマタ」の名で知られ、水銀汚染による公害病の恐ろしさを世に知らしめた。
なお、舞台となった水俣湾は環境庁の調査によって安全が確認され、現在では漁が行われている。
水俣病はメチル水銀による中毒性中枢神経疾患であり、
その主要な症状としては、四肢末端優位の感覚障害、運動失調、
求心性視野狭窄、聴力障害、平衡機能障害、言語障害、振戦(手足の震え)等がある。
患者には重症例から軽症例まで多様な形態が見られ、症状が重篤なときは、
狂騒状態から意識不明をきたしたり、さらには死亡したりする場合もある。
一方、比較的軽症の場合には、頭痛、疲労感、味覚・嗅覚の異常、耳鳴りなども見られる。
wikipediaより抜粋
~~~~~~~~~~~~
今回は熊本水俣病についてに説明すると、
そんなに昔じゃない1946年(もっと前からかも知れない)。
新日本窒素肥料水俣工場(現在はチッソ株式会社)
創業 1906年1月12日
設立 1950年1月12日
資本金 78億1,396万8,750円
の工場が海に毒性の強いメチル水銀を垂れ流していました。
メチル水銀は水俣の海に住む魚たちの体内にドンドン蓄積されていきました。
当時、水俣は豊饒(ほうじょう)の海といわれ魚がたくさん獲れ漁業の盛んな土地でした。
当然、魚をとれば食べる。汚染されているとは知らず。
時は流れ1952年頃
水俣湾付近でカラスや猫の不審死が頻発しました。猫が突然、壁に頭を叩きつけて狂死したりしたそうです。のちに猫踊り病と呼ばれる。
そして翌年1953年、当時5歳11ヶ月だった女児が発症。水俣病患者で最初の患者になってしまった。
1954年、熊本県水俣でのちに水俣病と認定された患者が12人発生。ほかに5人死亡。
当初、患者の多くは漁師の家庭から出たそうです。それはそうですよね、活きのいい魚は売って、弱っている魚は漁師さんなら捨てずにたべますよね。
原因が分からなかったため、はじめは「奇病」などと呼ばれていたそうです。
水俣病患者と水俣出身者への差別も起こったそうです。
その事が現在も差別や風評被害につながっているそうです。
当時の差別については、バスが水俣の周辺を通る時は窓を閉めろとアナウンスしたり、
水俣の人が買い物をして会計をする時は、ひしゃくに代金やお釣りを入れて直に接しない様にされたり、
水俣出身というだけで結婚させてもらえなかったり・・・。
1956年、上記の5歳11か月の女児が新日窒水俣工場付属病院小児科に入院。
5月1日に水俣保健所が「原因不明の奇病発生」として水俣病を公表。
後に水俣病の「公式確認」となる。この年、50人が発病し11人の方が亡くなってます。
1956年頃から、水俣周辺では脳性麻痺の子どもの発生率が上昇していたが、
1961年、胎児性水俣病患者が初めて確認された。
水俣ではその後、合わせて少なくとも16例の胎児性患者が確認されています。
水俣病の原因物質であるメチル水銀は胎盤からも吸収されやすいため、母体から胎児に移行しやすい。
さらに、発達途中にある胎児の神経系は、大人よりもメチル水銀の影響を受けやすいことが今日では明らかになっているそうです。
1958年、熊本県が水俣湾海域内での漁獲を禁止。
これにより水俣近海産の魚介類の価値は失われ、水俣の漁民たちは収入が無くなり、食糧を獲った魚介類に頼る為、さらに被害が拡大されていくことになった。
1958年9月、チッソの工場は、アセトアルデヒド酢酸製造設備(メチル水銀)の排水経路を水俣湾から別の場所に変更しました。
それにより、1959年3月から水俣病患者の、発生地域がさらに拡大しました。
1959年10月、新日窒附属病院の細川一院長は、院内ネコ実験により、アセトアルデヒド酢酸製造工場排水を投与した猫が水俣病を発症していることを確認し、工場責任者に報告しました。
しかし、工場の責任者は実験結果を公表することを禁じた
同じく1959年、熊本大学医学部水俣病研究班が水俣病の原因物質は有機水銀であると公表しており、水俣病の原因が新日本窒素肥料水俣工場から排出された水銀である疑いが濃くなった。
同年11月12日には厚生省食品衛生調査会が水俣病の原因は有機水銀化合物であると厚生大臣に答申したが、その発生源については新日窒水俣工場が疑われるとの談話を残すに留まり、直接答申者である調査会の「水俣食中毒特別部会」は翌13日に解散させられた。
この水俣病の有機水銀原因説に対して新日本窒素肥料や日本化学工業協会などは強硬に反論した。
厚生省食品衛生調査会が水俣病の原因を有機水銀化合物と結論。
1959年12月30日には、新日本窒素肥料は水俣病患者・遺族らの団体と見舞金契約を結んで少額の見舞金を支払ったが、会社は汚染や被害についての責任は認めず、将来水俣病の原因が工場排水であることがわかっても新たな補償要求は行わないものとされた。
同時に工場は、汚水処理装置「サイクレーター」を設置し、工場排水による汚染の問題はなくなったと宣伝したが、のちに「サイクレーター」は水の汚濁を低下させるだけで、排水に溶けているメチル水銀の除去にはまったく効果がないことが明らかにされた。
これ以降の内容が膨大なので歴史を飛ばします。
1967年、新潟水俣病の患者は昭和電工を相手取り、新潟地方裁判所に損害賠償を提訴した(新潟水俣病第一次訴訟)。四大公害裁判の始まり。
1969年6月14日、熊本水俣病患者・家族のうち112人がチッソを被告として、熊本地裁に損害賠償請求訴訟(熊本水俣病第一次訴訟)を提起した。
1971年、水俣病患者が新たに16人認定される。患者総数150人、うち死者48人。
1973年3月20日、熊本水俣病第一次訴訟にて原告勝訴の判決が下された。
2009年7月、水俣病被害者救済特別措置が成立。
この法律は、水俣病被害者を救済し、及び水俣病問題の最終解決をすることとし、救済措置の方針及び水俣病問題の解決に向けて行うべき取組を明らかにするとともに、これらに必要な補償の確保等のための事業者の経営形態の見直しに係る措置等を定めることを目的とする。
詳しくは御自分で調べて下さい。
これで終わったわけではなく、上の法案もいたらない個所も多く完璧ではなく、政府が水俣病の補償を終わらせたい。って法案にかんじますがね。
現在も水俣病で苦しんでいる方もいらっしゃいます。
更に生活保護不正受給者の様に、偽水俣病患者も居るようです。乞食は死ねばいいのに・・・。
さて、ざっくり水俣病をまとめてみましたが、ここまで読んで気付いた事はないですか?
あの屑企業と、そっくりじゃないですか?
そうです。東電ですよ。
メチル水銀を放射能に変換すると、正に現状になるじゃないですか!
ただちに影響が無いといわれる放射能ですが、たぶん近い将来同じ結末になると思いますよ。
甲状腺癌の大量発生・・・。
水俣病では、1953年の発覚から~1959年の政府が介入するまで6年間かかってます。
6年ですよ。新聞でも当時、大体的に書かれていたのに!なぜそんなに時間がかかるか。
正直、政府関係者でないので私には分かりません。
ただ、このチッソ株式会社、自民党水俣支部の後援会なんですよね。相当な献金してるんじゃないの?地元でも相当、力があるらしいですね。
あれ?東電もどこぞの党に献金してなかったけ・・・?
今後も、いろいろ隠ぺいされそうですね。
歴史は繰り返されるのか・・・。
政府や政党や国の言う事を信じるか、信じないか各自の責任で判断して下さい。私は信じません!
もっと書きたい事がありますが、これ以上書くと身の危険に繋がりそうなのでこの位にしておきます。
長文を読んで頂きありがとうございます。
尚、今回の内容は、自分の調べた内容とwikiを織り交ぜておりますので間違いがあるかもしれません。間違いがありましたらご指摘下さい。
