最近ちょっと気になっている事がある。
僕のブログを読んで頂いている方ならば
大概はそう思っているだろうけれど
はるたろうブログは
長くダラダラとした文章で名を馳せている。
いや、馳せていない。
馳せてはいないけれど
冗長気味なのは事実だ。
それは認めよう。
でね、その原因の1つとして
前フリがやたらめったら長い
…うむ。それも認めよう。
でだ、僕が心配しているのが
例えば
僕が殺人事件の被害者になったとして
(聖人君子ではないので刺されることもあるだろう)
虫の息ながらも
なんとかダイイングメッセージを遺そうと
震える指で頑張ってはみたけれど
前フリから書き始めてしまい
犯人の名前に辿りつく前に力尽きる。
僕ならば十分にありえる話だ。
いやあ、それにしてもだ
刺されちゃったわけなんだけども
犯人は…
ここら辺で息絶える。
書き出しが肝心ですな
………すまん、間違えた………
本来の『気になっている話』は全く違う。
別の気になってる事を思い出しちゃったので
思わず書いてしまいました。
スミマセン。
僕が書きたかった事をちゃんと書こう。
我が町では
今月に入って2回選挙があった。
県議会議員と市議会議員選挙である。
まあ、有権者として
人並みには興味が有る方ではあるけれど
街頭演説でよく聞くあのフレーズに
僕は少し違和感を感じている。
正直者が馬鹿を見ない政治
とか
正直者が馬鹿を見ない社会
とか
『正直者が馬鹿を見ない○○』っていう言葉
なんか変じゃないですか?
いや、理念としては素晴らしいし
実際にそうあるべきだとも思う。
でもさ、そもそも本来の『正直者』って
“正直であること”が行動原理なわけで
それで馬鹿を見ようが損しようが
関係無くね?
つまりさ
「馬鹿みた~
」とか「損した~
」って
文句を言うってことは
一応、正直…というか
規則通りに行動してきたんだけども
あちらで甘い汁が吸えそうならば
信条を無かったことにして
コロっと主旨返上してしまう雰囲気が
なんとなく滲み出てる気がしません?
(僕の考え方が歪んでますかね、苦笑)
「正直者が馬鹿を見ない」
為政者が為政者として
心には持っていて欲しい言葉ではある。
でも口に出されてしまうと
なんか“正直者”という存在が
軽く扱われてるみたいで
あまり簡単に言って欲しくはないかな、と
天の邪鬼な僕は思ってしまう。
言い換えるとするならば
不正直者は馬鹿を見る政治
ならまだ分かる。
不誠実者は地獄に落ちる社会
でもいい。
分かりやすいフレーズだ。
お前を蝋人形にしてやろうか
だと、たぶん選挙に落ちる。
リアルな正直者に
意見を聞いてみたい。
ちょっと気になる事でした。
