大切なのは金or愛

僭越ながら切り込まさせていただきます

 

………個人的には「愛!」と言いたい………

 

の前に

「どっちが大切なのか」を考える場合

入れ替えが可能なのかどうかを

調べてみると良い場合がある。

つまり

「愛が無くても金があれば大丈夫」

もしくは

「金が無くても愛があれば大丈夫」

これが成立すれば

価値としては“愛=金”と考えても

そこまで間違えではない。

 

ひっくり返して考えると

「愛があっても金が無いとダメ」ならば

“愛<金”であるし

「金があっても愛が無くてはダメ」ならば

“愛>金”になる。

 

まあ、世の中が全て

愛と金だけで動いている訳ではないので

一概にザックリと等号・不等号で

割り切れるもんじゃないけれど

大まかに考えれば

『入れ替え』という方法で

なんとなくの感覚は掴めると思う。

 

………僕はいつも真面目にコメントしてる………

 

じゃあ、本題にいきましょか。

 

ブロ友さんが

このお題でブログを書いていて

先の『入れ替え』説を念頭に

幾つか例を出して

コメントさせていただいたんだけど

なんか、書いてるウチに

自分で面白くなっちゃったので

続きを追記、補足したいと思う。

 

そもそもが

「入れ替えるってどうやって?」という話だ。

 

直感的に分かりやすいのは

単純に文字を入れ替えることだろう。

…と僕は考えた(バカっぽいけど

 

Superflyというバンドの曲に

『愛を込めて花束を』というものがある。

『金を込めて花束を』

…意味は通じなくはない。

 

花束の包装を剥がすと

中から札束がハラハラと落ちる。

事の善し悪しは別として

状況は十分に想像できる。

 

お菓子箱が二重底になっていて

開けると小判が敷き詰められている。

そんな状況と似ている。

「おぬしも悪よのう」なんて台詞付きで。

♪理由なんて 訊かないでよね~

 

コメントではあと2つほど例をあげた。

面白くなってきてもっと書きたかったけど

流石にクドいので止めておいた。

 

でも、ここなら自由だ。

俺のブログだ。

 

西城秀樹

『愛の十字架』『金の十字架』

おそらく元歌の十字架は

“背負った運命”的な比喩なんだろうけど

一気に普通のペンダントの歌に変わった。

状況が変化しただけで意味は十分に通じる。

 

松崎しげる

『愛のメモリー』『金のメモリー』

要は両方とも思い出話である。

元歌は出会った頃から振り返り

これからもずっと愛するよって話。

身も蓋もないけれど

昭和40年代に起きた3億円事件だって

言ってみれば『金のメモリー』だ。

犯人は誰だ?お金はどこへ?と

これからも謎解きは続くだろう。

無理なく意味は理解できる。

 

KAN

『愛は勝つ』『金は勝つ』

…まあ、そう言い切れれば

それはそれで強い。

♪かならず 最後に金が勝つ~

強欲過ぎるとは思うけど

それもまた真理なのかもしれない。

あくまでも、言葉遊びだと思ってください(笑

 

言葉の入れ替えは可能なので

価値としては愛も金も同等だ。

両方大切だよね。

みたいな事を

少し斜に構えて、シニカルに

言いたかっただけである。

 

………実はここからがこじつけ真骨頂………

 

でね、ここからが本番。

(今までのは何?)

 

入れ替えできないパターンがある事を

お気づきだろうか。

 

そう

“愛”が動詞として使われるケースだ。

 

小沢健二

『愛し愛されて生きるのさ』

『金し金されて生きるのさ』

…こんな日本語は無い。

 

“愛”も“金”も名詞である。

変な話、名詞同士であれば

入れ替えはなんでも可能だ。

『犬のメモリー』でも『貝は勝つ』でも良い。

 

ただ、動詞に活用できない名詞は

応用範囲が狭くなる。

『鼻し鼻されて生きるのさ』とか言わないし。

「金する」って言葉が無い。

 

つまり、どういうことか?

さあ、どういうことでしょうね?(苦笑

だと

「今まで読ませておいて…むかっ」と

皆さんがお怒りになるだろうから

無理矢理こじつけ超理論を展開すると

 

一見

愛と金は入れ替え可能であるけれど

金では愛を補填できない場合がある。

それは

愛が動詞として描かれた時。

 

すなわち

 

(ドン!!)

 

愛が動き出すと

金ではカバーできないのさ

なんか急に

おじさん臭がプンプンし始めたけど

大丈夫だろうか。

 

まあ

愛も金も両方大事だと思うけど

最終的には

KANさんが言うように

愛が勝つ、はず。

そう思っていたい、個人的には。

 

誰だコイツは?