『瀬戸の花嫁』という曲がある。

調べてみたら1972年4月リリースのようだ。

僕と同じ年である。

約50年前の名曲といっても過言ではないだろう。

 

そんな、僕とタメの曲なんだけど

気になる部分、というか歌詞がある。

嫁いでいく花嫁の心情はよく分かるけれど……

 

1番の途中部分。

おじさんは少し心配になる

 

恋愛も含めて、結婚生活には

絶対に“愛”が必要である。

これは疑いようも無い事実だと思う。

いくら不調法な僕でもそれくらいは分かる。

確かにそうなんだけど

恋愛期間中はさておいて

果たして

結婚生活は

“愛”だけで乗り切れるだろうか。

若い花嫁は「愛があれば大丈夫」と言う。

花嫁の心の内は痛いほど分かる。

きっと知らない土地へお嫁に行くのだろう。

周囲の心配以上に

自分がイチバン心細いはずだ。

 

んー

2番の歌詞を読んでみると

船に乗って嫁いでいることがわかる。

50年前の瀬戸内海ならば

交通手段としては船しかなかっただろう。

しまなみ海道なんて無かったし。

1度、海を渡って結婚してしまえば

何か問題があったときに

「実家に帰らせていただきます!」とか

そう簡単に言える台詞ではないだろう。

船が無きゃ物理的に帰れない。

『島から島へと渡って』結婚するということは

時代背景を鑑みて

相当な覚悟が必要だったことは想像に難くない。

その覚悟の根拠が“愛”である。

「愛があれば大丈夫」という覚悟。

ていうか

そう思わんと結婚なんてやってられん。

 

………話は昭和から令和へ………

 

でだ

その50年後の結婚事情であるけれど

巷でよく耳にするのは

「3組に1組が離婚する」という話。

つまり

「結婚したカップルの1/3が離婚する」

みたいな説を聞いたことがある人もいると思う。

単純に考えると

約33%の夫婦が離婚をする…

ちょっとデータを見てみると

令和元年に結婚した夫婦は約59万組。

令和元年に離婚した夫婦は約20万組。

この数字を眺めると

確かに1/3離婚説も正しそうだ。

でもね

これは間違ってるかどうかは知らんけど

少なくとも正しくはない。

なぜならば

もし1/3離婚説が真実ならば

令和元年に結婚した59万組の夫婦の内の

20万組が令和元年中に離婚しなければならない。

でも

データ上の離婚した20万組は

“令和元年に離婚した”という事実だけで

何年前に結婚した夫婦なのかまでは示していない。

もし1/3離婚説を証明したいならば

令和元年結婚組を生涯追い続けて

離婚したかどうかを調査する必要がある。

 

因みに

日本では厚生労働省が毎年

人口動態調査を行っているけれど

それによる統計だと

令和元年の離婚率は1.69になる。

この数字は

人口1000人あたりの離婚組数を示している。

かつ

この1000人にしても

既婚者と未婚者が混合になっている。

1.69という数字が多いのか少ないのか

よく分からん(苦笑

分からんけど

おそらく離婚率33%は

だいぶ盛ってる数字っぽい気がする。

 

………でさ、そもそも結婚ってなんなのさ………

 

「好きな人とは一緒にいたい」と願うのは

至極当然の思考回路だと思う。

ただ、なんでそれが結婚に結びつくのか。

変な話

「一緒にいたい」だけならば

わざわざ結婚する必然性は薄い。

それこそ同棲っていう形もあるし

事実婚というあり方もある。

 

ただ不思議な話なんだけど

結婚という制度は昔からある。

それこそ数百年、数千年単位で存在している。

これだけ長く続くってことは

制度として有益な点が多いのだろう。

同棲、事実婚以上に…つまり

「好きである」以上のメリットが

結婚制度にあるはずなのだ。

 

それってなに?

なんでしょ?(笑

 

まあ、難しい話ですな。

 

………あくまでも目的じゃなくて手段だ………

 

願わくば

瀬戸の花嫁が

幸せな結婚生活を送れていて欲しい。

もし、それが叶わず不満の限界だったとしても

今なら結構簡単に帰って来られるから

ボロボロになるまで我慢しなくてもいい。

自分らしく生きる道は

元の島にも、日本中どこにでもあるし。

 

僕個人としては

結婚を特に肯定も否定もしない。

ことさらに「素晴らしい」とも言わんし

したり顔で「やめときなよ」とも窘めない。

したい人はすればいいし

したくない人はしないのも全く問題無い。

ただ

制度に縛られて自分を無くすのは馬鹿馬鹿しい。

幸福を求めるための1つの手段であって欲しい。

 

結婚はゴールじゃなくてスタートなので。