懐かしいですねえ。

 

『魅せられて』は惹きつけられる魅了・魅惑を意味しているのだろうけれど

『見せられて』だと急に変質者感が漂う。

…みたいな、関係各所から苦情がきそうな感想は置いておいて

この曲、なんとなくですが

女性を海に例えて、大きく包み込むような愛情や母性などを歌っているのかと思ってたんですよ、最近まで。

「♪女は海」とか「♪私の中でお眠りなさい」とかね。

でも、前後の歌詞をしっかり読んでみると、それプラスアルファがあることに気が付きます。

 

そもそもが1番の歌詞に出てくる

「♪好きな男の腕の中でも 違う男の夢を見る」

2番の歌詞にいたっては

「♪やさしい男に抱かれながらも 強い男にひかれてく」

と導入していく。

彼女(ジュディさんじゃないですよ。歌の主人公のことです)が全くもって、どうしたいのか分からない。

 

“海”の別の一面として『同じ景色は1つもない』というものがある。

常に動き続ける海に同じ形はあり得ないからという尤もな考えです。

ということは

「♪女は海」ってダブルミーニングとして「常にたゆたい揺れてるんだよ、本当はね」っていうことを伝えたいんじゃないかなと思ったりもするのです。

 

ちょっと話が飛びますが

お釈迦様と孫悟空(西遊記の方ね)の話をご存じでしょうか。

いきがりまくってる孫悟空が実はお釈迦様の掌で大騒ぎしてるに過ぎなかった、という話(ざっくり

 

別にどっちが男女でも構わないのですが

このお釈迦様と孫悟空の関係が一番上手くいくような気がしてなりません。

もっというと、孫悟空が「あー、なんやかんやいってもお釈迦様の掌だなあ」と理解してると完璧。実際に孫悟空もそれに気付き、時々ハメを外しつつもお釈迦様の存在をきっちり意識して行動するようになります。

こういう関係って、凸と凹の組み合わせが上手くいく好例じゃないかと。

これ、どっちも孫悟空だとそれはそれで楽しいかも知れないが無軌道で世間から浮いたカップルになりかねない。

かといってどっちもお釈迦様だと穏やかと言えば穏やかだけど無味乾燥な関係に陥りかねない。

 

話は戻って、『魅せられて』の女性ですが

彼女の海は“包み込む”という意味も当然ありながら歌詞を読んでみると“飲み込む”という激しさも感じる。心が千々乱れながらも全ての男性をグワッと覆いこめる力を持っている。

ある意味、お釈迦様とも言える(えらく掌がデカいけど

 

世の中の人間をお釈迦様と孫悟空に分けたら、間違いなく僕は孫悟空チームに入るだろう。

人によく「やんちゃな小動物みたい」と言われます(褒められてないよね?

てなると、掌で転がしてくれる人が相性が良かろうと思うわけですが

いかがでしょうか?

 

いかがでしょうかって言われても困ると思いますがね。