平成21年2月2日は、父の命日である。
我が家では、我々夫婦・子供と私の父母が同じ家で暮らしていた。
2世帯住宅というわけではないが、我々は増築部分で住んでいた。
増築とは言え、風呂・キッチンが付いており、完全に独立している。
なので、父母との交流は、それほど緊密と言うわけではなかった。
亡くなる数ヶ月前、特に数週間前からは具合が悪かったらしい。
父はタバコと酒が好きで毎日やっていたのだが、その好きなものでさえ、する気が起きなかったらしい。
父は医者が嫌いだった。
あまり良くない印象があったのだろう。
胃は全部摘出していた。
亡くなる前は、横になることが多かったようだ。
それらは亡くなったあとに、母から聞いた。
その前の年の正月に、父が倒れた。
そのときは救急車で運ばれたが、救急車が到着したときには、父の意識は戻っていた。
21年2月2日の午前4時過ぎに、母に起こされた。
父を県立病院に連れて行ってくれ、と頼まれた。
救急外来に診てもらおうと思ったのであった。
病院に行く前にトイレに行こうとしたが、行く力は残っていなかった。
私がトイレに連れて行った。
おんぶしたその体は、軽かった。
トイレの便座におろしたとき、意識を失った。
直ぐに救急車を呼び、父を連れ出した。
失禁していたが、玄関で救急蘇生の措置が取られた。
私はそのときに、最悪の事態を予感した。
救急車で、県立病院に行った。
すぐさま心臓マッサージが執り行われた。
家族は病院の廊下である。
しばらくして、家族が呼ばれた。
心電図を見せ、もう殆ど亡くなりかけている事を知らされた。
心臓マッサージを続けるかどうか聞かれ、我々は医者に感謝しつつ、「もう結構です」と答えた。
亡くなった時、母と家内の眼から一筋の涙が零れ落ちた。
私はさまざまな思いが去来して、泣けなかった。
それから霊安室に行き、亡骸を自宅に連れ帰った。
亡くなるまでのことは、結構思い出に残っている。
その後の葬式などは、慌しい中進んでいったので、記憶があいまいなところも多い。
父の死を通して、人の死はあっけないものなんだな、と感じた。
認知症とか寝たきりとかにならずに亡くなったので、残された家族にとっては、そういう面では楽であった。
しかし突然に逝ってしまったので、最後の親孝行ができず、申し訳ない思いもすることがある。
私は、普通科の進学校への進学が許可されず、長い間嫌な感情を抱いていたのも、遠い昔になってしまった。
自分(父)は貧乏で高校にも進学できなかった。
でも子供(私)には、ひもじい思いをさせまいと一所懸命働いて養ってくれた。
その感謝の気持ちを表すことができなかった。
2月のこの時期になると、思い出す我が家の出来事である。
1月31日23時過ぎに、家の前に救急車が止まった。
隣組の女性(62歳)が亡くなったそうだ。
脳溢血らしい。家族が、トイレで倒れている女性を2時間後に発見した。
あす2月3日に告別式である。参加を予定している。
今年の冬は寒い。
血管も切れやすいのだろうか。