肺がんを患っていたらしく闘病中だったらしい。
原田芳雄さんがお亡くなりになった時、参列していた内田裕也さんが
「ジョー山中も重体で大変なんだよ」
と心配そうに話していた。
1977年の映画「人間の証明」でのジョニー・ヘイワード役。
刑事役に松田優作、母親役に岡田茉莉子を配したこの作品
この年の日本映画一番の話題作となった。
「お母さん、あの麦わら帽子・・」ってあのセリフ
子供の時に流行った覚えがある。そして
ジョー山中が唄うこの映画の主題歌が当時大ヒット。
それまでロックの世界ではカリスマ的存在だった彼が
この曲で一般人にも幅広く知られるようになった。
彼の音楽キャリアは非常に長い。GS時代から既に
491(フォー・ナイン・エース)で精力的に活動していた。
しかしなんといっても491解散後に結成した、
フラワー・トラベリン・バンド時代が最も輝いていた。
3オクターブのハイトーンを活かした超越ボーカリスト。
日本のロック黎明期を代表する存在だった。

このアルバムもカッコイイがまだ洋楽のカバーも多く
オリジナリティよりはその雰囲気を味わうのがイイ。
・・しかしこのバンド、只者では無かった。
その演奏力や世界観は後のアルバム"SATORI"にて結実する。

当時、日本のロックに対する考え方として
「日本語でやるロック」に拘った はっぴいえんど
「ロックは英語でグローバルに」の フラワー・トラベリン・バンド
あまりにもザックリすぎるが、当時
この2バンドがその代表格でもあった。
今なら英語でロックやんのなんて当たり前だけど
当時は「日本人なのになんで英語で?」とか
そんなこと平気で言うヤツ多かったらしい。
(※言葉は用途に応じて使い分けましょう。)
非常にまだドメスティックな当時の日本において
果敢に海外進出を目論見、英語圏の世界に
日本のロックで殴り込みをかけた。
日本語にアイデンティティの重きを置かず、
あくまでもハードロックをベースに
日本ならではの独自のハードロックを提示した。
それは曲構成に日本音階、和旋律を持ちこみ
外人が好みやすい「フジヤマ、ゲイシャ」的な
オリエンタルな部分からもっと踏み込んで
もっと深い部分での精神的な「和」のテイストを
サイケデリックに表現(プログレッシブ!)
その「日本人らしさ」「日本のロック」を表現した。
単なる海外のマネではない「日本のロック」を
初めて世界に知らしめた。(1970年!)
アメリカのアトランティックレコードと契約して
特にカナダでは熱烈に歓迎され、LIGHTHOUSEとも
共演するに至った。
日本語に拘ってドメスティックに活動していたら
決して得る事は無かった。
※はっぴいえんども素晴らしいが結局後のYMOで
先にフラワーがやった様な世界進出を行った。
フラワー・トラベリン・バンドは海外での評価が高い。
海外のマニアに受けがイイのだ。
・・そんな私見どうでもいいな。要は偉大なバンドだった。
これからもっと多くの人にフラワー聴いてもらいたい。
カッコイイから。


ケンカも強かった

謹んでご冥福をお祈りいたします。