昨年の芥川賞受賞時の、
川上未映子氏のインタビューの中で、
社会学者の宮台真司氏が語っていた話というのがある。

今何故若い子にケータイ小説がうけるかという話なのだけれど、
それは、彼女達の人付き合いが刹那的だからという。
ピュアすぎて傷つく事が怖いからだとか。

ケータイ小説はわかりやすいと言えばわかりやすい。
「強姦された!! 頑張れよといわれた。だから頑張る」
彼女たちははそういう表現にしかシンパシーをもてないと。
純文学を扱うような深い人間関係を照らす文章は
傷つくからアクセスできないだそう。

む~ん。
私は、それらは彼女達がピュアだからとは思わないが、
彼女達はそこにアクセスできない。
むきあう事が怖いのか。

うまくいかない。
はい。リセットボタン、プチ。
スチャ~ん。リスタート。
まるでゲームのよう。

時代も人も移り変わる。
けれど、私たちが人間であり、社会で生きて行くという
根本は変わらない。

ゲームのようにリセットできれば簡単。
けれど、それではどうだ。

嬉しい事も、哀しい事も色々あるけれど、
それらを織り込みながら、それぞれ模様が見えてくる、
味わいがでてくる。

深く黒い色があったってよい、
何色があったってよい、
ひとつとして同じものはない、

人生はそんな織物のように思う。