~資地計築~ 建築デザイン 木下 稔 -81ページ目

運動不足

運動不足になってます。

天候の具合でランニングもままならないです。

希望として、大阪では夜10~11時ぐらいからできること

米子では夜7時ぐらいからできること

なのですが、中々思いつきません。


さて、何とかせねば…

そして米子

大阪で仕事をして、和歌山に行き歯科医院改装の打合せ

大阪の会社に帰り、色々やって出発したのが夜9時。

さっき米子に着きました。

太平洋側は運転しにくい雨でしたが

米子道からは雨が止み

週明けの低温が気になりますが

さぁ、やるか!

明日からの僕

とりあえず気合い

さらば、僕の跆拳道 〜いつかまた逢う日まで〜

突然ですが、42歳から始め3年半

ボロボロになりながらも、それ自身が僕を支え続けてくれた「テコンドー」

これを先週の木曜日に辞めることにしました。

その日木曜日、八尾道場の練習でも、週末にある遅まきながらの昇級審査と

2月にあるC級審判資格の講習を予定して、いつものように全力で練習していました。

あるきっかけで僕は

鳥取県米子市と大阪を仕事で往復するにあたり

僕は確か「心骨粉砕」の心で向かう「覚悟」をしたはずでしたが

にも拘らず、この1年

心血注いて取り組めたかというと、そうでは無かったと

気づきました。



今年、僕が全社員に掲げた言葉は「変化」

「変わる」ということは無軌道

「化ける」ということは意図ある進歩。

人に変化を求める前に、自分が変わることが必要だと気づきました。



今年から、1週間ごとに大阪と米子を行き来するにあたり

僕が以前と変わらずテコンドーをするというのなら、みんなに迷惑をかけるに違いない。



いや、この1年

とんぼ帰りで行ったり来たりでも、これだけ自分の時間をとっていたということは

ずいぶん迷惑をかけていたということに

突然気づいたのです。



あれ程頑張っていたのですが

その夜、川津師範に辞める旨のメールを入れ

翌日、道場へお世話になったご挨拶に伺いました。

泣きそうになったので、道場生みんなには挨拶できませんでした。

辞める必要は無かったのかもしれませんが

中途半端な僕は中途半端に続けるより

潔く決別することを選びました。



確かに、あの日

「無謀だ」「そんなの出来る訳ない」「大阪と米子との距離どうするの」etc…

そんな言葉を振り切って、米子に新しい仕事を立ち上げるという道に進みました。

これから起こる様々なこと、それを乗り切る「願掛け」に

今では僕の生き様になったこのテコンドーを辞めることが

一番厳しい選択だから「願掛け」であるということも僕を後押ししました。



下らない僕は、42歳の時

中年の下降線で、腐ったオッサンの道を順調に進んでいました。

行ったその日に足の生爪を3枚剥ぎ

1ヶ月後、原因不明の高熱が出て

体のあちこちを壊しながら

僕はテコンドーをすることで、42歳の中年でも子供たちと同じぐらい沢山のことを学べました。

こんな中年だからこそ、全力で考え、全力で努力し、全力でぶつかる事の大切さや

砕け散っても、ガレキのままでも、そこに辿り着く執念や

そこに計り知れない敬意があり「殺すと敬うは紙一重」であることも

こんな涙も枯れた情けない大人が

知ることもできたのも、まぎれもなくこの3年半があったからでした。

そして、僕の中にできた宝は

「気合」

気を以て合わせ

気を以て発し

気を以て奮う。

この宝を胸に

融心館に一礼と川津師範に感謝と

年が近かった上田さんと武田さんの友情と

八尾でお世話になった江嶋先生、舟戸先生

出稽古でお世話になった新島先生、育美さん

いつも試合で厳しくも励ましてくださった中村師範

日本橋で暖かく迎えてくださった有田師範

突然押し掛けても嫌な顔ひとつせず練習に加えてくださった阪口師範

一緒に練習してくれた子供たち

試合で戦った人たち

情け容赦なくこんなオッサンを本気で蹴ってくれた多感な時期の中高生のみんな

どうでもいいような中年に敬意をもって頭が吹っ飛ぶぐらい蹴ってくれた中川貴哉くん

君はオリンピックは絶対に行ける

紆余曲折の中、実は理解されない不世出の天才だと僕は信じている山崎優輝くん

君は必ず輝く、だから流されることなく地味だけど頑張れ

そして保護者の方々、様々関った皆様

これまで本当にありがとうございました。

僕のテコンドーはここで一旦終わることになりましたが

テコンドーがあったから、これから戦えることばかりです。

人が、生きながらより良きを求めるから道ならば

僕はこれから足(跆)を地に着け、その手(拳)でつかむ道

僕なりの跆拳道(テコンドー)があり、これからも戦い続けれるのだと

今は思っています。

僕にできること

これからも、これまでに負けないくらい戦うこと

僕が信じること

川津師範が最後に仰った「木下さん、ただの長い休みです」ということ



さらば、僕のテコンドー

また逢う日まで