都合のいいときだけ日本人 〜失われたもの、知りません〜③ | ~資地計築~ 建築デザイン 木下 稔

都合のいいときだけ日本人 〜失われたもの、知りません〜③

前回の続きです、下の①、②と繋がっています。

都合のいいときだけ日本人 ~失われたもの、知りません~①
都合のいいときだけ日本人 ~失われたもの、知りません~②


昔、日本では「許す」ということが生活や慣習に組み込まれていたと思います。


最近ではその「許す」という日本のすばらしい文化や考えが急速に無くなってきていると感じます。

建築や設計という仕事の中でも急速に失われていることがあります。


木造建築の技術については、日本古来の技術というものが世界的に見ても最高水準にあるのは皆さんもご存知の通りだと思います。


しかしながら、この世界最高の技術を再現する事がほぼ不可能になってきています。


木を知り、土を知り、の材料の吐息を感じながら長い時間をかけて作ることの出来る職人たちがこの日本に一体何人現存するんでしょうか?


その仕事が出来る人にそれだけの材料、時間、そしてお金を出すことのできる建築主がこの日本に一体何人いるんでしょうか?



建築というものは現場細工である為、同じ形のものを作っても、全く同じにできません。


木や石も、土も鉄も、自然環境に伸び縮みしたり、揺れたりしているので常に変化しています。


誰も想像し得ない事が起こったりもします。


お客様の頭には何故か「匠」思考が存在しており、工事をする職人は神業的「匠」技術で仕事をしなければならない、という想いが潜在的にもっておられます。


上記のような工事が定着した今、建物が環境に変化した時、当然「狂い」が発生します。


過去に類稀なる「匠」の技が有りましたが、やっぱり「反り」「狂い」はありました。

しかしながら、自然にあるものを工夫して使っていることを皆が知っている上、文化の中に「許す」が組み込まれていた為、さして問題にはなってきませんでした。

現代では、ジョイントが離れて当然のビニールクロスの継ぎ目を目くじら立てて怒ったり、木が収縮して形状が変化したことに「全面交換」を要求されたりする方々が増えてきました。

何かのテレビの影響でビー玉をばーっと大量に転がして「家が傾いている!欠陥住宅だ!」と叫んだり、さまざまです。

別に家が傾いていなくても、抵抗の少ないフローリングにビー玉を転がせばわずかでも低い方向に転がります。

そんな、体に感じない事まで計りを出して気にします。

昔のお家、もっとガタガタに傾いてます


床が鳴る、階段がきしむ、欠陥だ!


昔のお家、もっとキィーキィー鳴ってます


何かがおかしくなって来てないでしょうか?


~つづく~