心でつくる綺麗な道 | 吉永達哉のコミュニケーション スクエア

心でつくる綺麗な道

小学生の頃、何の授業かは忘れましたが、先生からこんな話を聞きました。



「昔、今の商店街の様な通りを挟むように商店がずらりと並ぶ町での朝の風景。


町が動き出す前に、店員達は開店の準備に追われ、忙しそうに動き回っています。


店内の準備が整えば、次は店周りの清掃。示し合わせたかのように、店と店の


間の通りを掃除し始めました。あちこちで「おはようございます」「おはようさん!」


「今日はどんな野菜が入りました?」「今日は久し振りに晴れて・・・」なんて


挨拶と会話が聞こえてきます。


その間も各店員さんたちは、ほうきを持ったその手を休めることなく、自店の


前から通りの中央へ向かって掃除をしていきます。


やがて通りの中央で向かいの店員さんと鉢合わせしそうになりますが、そこで


手は止めず、すれ違って向かいのお店の方へ進むんだそうです。


その間、背中合わせになりながらも他愛も無い会話が交され続け・・・


お互い通りの幅の2/3ほど掃除し終わったら「ほな。。。」とすれ違いざまに言葉を


交し掃除を止めてお店に戻るんだそうです。


みんな、これがどういうことか分かりますか?


これはね、お向かいさん(仲間)との会話(コミュニケーション)を大切にしながら


通りの掃除をキッチリ半分にしない、向かいのお店の方まで掃除することで、


相手への思いやりを示しているんです。


と同時に、掃除が終わった通りはどうでしょう?お客さんが通る道の真ん中は


二度も掃除がなされ、塵一つ落ちていなくて気持ちよく歩いていただける。


うちの店の前だけ、じゃなく通り全体が綺麗であれば、他の通りよりも私達の


店のある通りを選んでくれる。すなわち、お向かいさんにだけではなく、


その日その通りを通るであろうお客さんに対しての心遣いもなされてるんだよ。」



この話しをこうして思い起こせば、十分コミュニケーションにも通ずる話しです。


半分の責任を果たせば終わりじゃなく、相手を思いやりプラスαを付け加える。


そんなプラスαが重なれば、お互いに感謝と喜びという真ん中の綺麗な道が


出来上がるんだと思います。



こんな自分になれたら、毎日の終わりはきっと笑顔で迎えられるんだろうなぁ。









どんな話しでも気兼ね無しに話せる、気のおけない友人ならいいのですが、


多少気を遣う(遣わなきゃいけない)知人とのコミュニケーションは


年齢的や役職的な上下が無い限り、フィフティ・フィフティですよね。


これは間違いではないのですが、日本には昔から美しい心遣いがあって