長崎は坂の多い街だ。
山道のような険しい坂だ。
ハウステンボスのある佐世保から、観光バスで1時間ほどであったろうか。
以前、娘の小学校卒業と中学受験合格を記念して、家族3人で遊びに行ったことがある。
長崎行きは、言わばハウステンボスの「ついで」の位置付けだった。
グラバー邸、出島、ちゃんぽん発祥の地・・・、観光名所が頭に浮かび、正直、原爆投下の都市というイメージは、広島ほどなかった。
しかし、爆風で半分になっても建っている鳥居を見た瞬間、それまでののんきな観光気分は吹き飛んだ。
長崎駅から北へ、浦上川に沿って山に挟まれた細長い地域に原爆の爆心地がある。
今は平和公園や長崎原爆資料館が整備された場所には、かつて住宅があり、人々の静かな暮らしがあったはずだ。
坂道をいとわず駆け上っていく子供たち・・・。
11時02分の原爆投下まで、明日を夢見て生きていた人々・・・。
坂道の階段のそこかしこに、失われた人々の想いが染みついている気がして、目を閉じ、安らかな眠りを祈った。
とても観光のついでに来るようなところではなかった。
被爆者たちに申し訳ない気持ちになった。
娘もかなりの衝撃を受けたようだった。
原爆資料館のジオラマや被爆者たちの写真を食い入るように見つめていた。
実戦で使われた史上最後の原爆、人類にとって長崎の意義は深い。
終戦の日が近づいているこの時期、戦争反対の意識は高まっている。
しかし、半年後はどうであろうか?
因果応報、広島や長崎で起こった悲惨な出来事は、愚かな戦争参加という判断が原因となって、発生したのだ。
娘の恋人や婚約者、または夫が戦場に行くことも確かにつらい事だが、原爆によってすべてを失い、消滅してしまった多くの人々の声なき声にもっと耳を傾けるべきなのだ。
将来、日本が加害者側にならない為にも。