なぜ軍事機? | Plastic Squadron

なぜ軍事機?

ふと考えました。なぜ軍事関連の、とりわけ軍事機の模型を作るのかと。個人の独断と偏見ばかりですが、やはり戦争は好きではありません。国家間の紛争に軍事はつきものかもしれませんが、やはり戦争は殺人の別名に過ぎず、国際法では合法とされているかもしれませんがやはり戦争は無いにこしたことはない。ところが模型になると軍事関連、特に軍事飛行機ばかり制作しております。なぜでしょう?

理由はやはりかっこ良いから、なのでしょうか。全ての不要なものをそぎ落とされ、機能のみを追求したそのフォルムに痺れるような魅惑を感じる。特に飛行機はそうなのかもしれません。でも、戦闘機も爆撃機も機能は一つ、敵への攻撃にあります(時には敵からの防御もありますが)。人間とは悲しいもので、どうやら同種内での喧嘩に関してはやたら知恵が回るようですね。結局、我々の技術力で最も進んでいるフィールドが軍事ですから。んんん、そう考えると手放しに「かっこいい!」なんて言ってられません。大好きな大戦米軍機ですが、その米軍機の的となり、命を落としていった日本の若者は多くいますから。そう考えると、「かっこいい!」という理由のみではあまりにも無責任に感じます。

私はなぜ軍事関係の模型を、とりわけ飛行機を制作するか。それは、戦争という行為の最中に戦う者たちが見いだしたロマンを形にすること、と最近思うようになりました。兵士たちはもちろんのこと、もし飛行機に魂があったのであれば、やはり敵国のお互いに対して弾丸を撃ち込むことは気持ちよいことではなかったように思えます。ましてや、戦闘機や爆撃機が実際に戦闘行為に従事する時間は、その戦闘行為をする区域まで飛行する時間と比較すれば微々たるものでした。ここから先は想像でしかありませんが、戦闘区域へと向かうパイロットは移動時間の間にしばし己を忘れて空を飛ぶ楽しみに身を委ねていたのではないか、と感じます。また、飛行機も束縛無き空を自由に飛び回る喜びをその高らかと鳴り響くエンジンの爆音で表現していたのではないか、とついつい夢を見てしまいます。ちょっとロマンチックすぎましたか?

生きて帰ることを望んで愛する人の名前をペイントしたノーズアートがジュラルミンの機体を華々しく飾るマスタングとその米国陸軍航空隊パイロット、生きて帰ることが叶わないことを知って菊水の紋に己の祖国を守るためと意志を託した桜花とその日本帝国陸軍航空隊パイロット。制作する機体一つ一つに繰り返されてはならぬ歴史が有り、死してもなお残る悲しみがあり、そして何よりも戦争を忘れるひと時であったであろう大空を飛び回る喜びがありました。その具現化がたまらなく大切であるような気がして軍事機の模型を作り続けているのかもしれません。