曹操の南陽の張繍討伐戦
張繍は董卓配下の張済の甥で張済が南陽の穣攻略中に流れ矢によって戦死したので、その跡を継いだ。その後、名参謀賈詡が陣営に加わった。賈詡は「張繍は軍才に優れるが曹操に及ばない」と進言し、劉表と同盟を結ぶことを進言し、張繍は賈詡を派遣し、劉表と同盟を結ぶ。自らは宛に駐屯した。そして、曹操が南陽郡に侵攻し淯水に陣営を置くと、張繍は軍勢を引き連れて曹操に降伏した。しかし、曹操が彼の悪癖の英雄色を好むの本領を発揮し、張済の未亡人を寵愛したので張繍は恨みを抱き、また、そのことを察知した曹操も張繍を暗殺しようとしているという情報を得たので、賈詡に相談し、反旗をあげた。この奇襲は大成功し、張繍配下の胡車児に酒で酔わされ、武器を奪われたボディーガードの校尉の典韋は奮戦するも、弓兵の一斉射撃を全身に浴び、直立不動のまま目を見開いたまま絶命した。少数で逃亡中に駆けつけた親類の曹安民も討ち取られ、馬を射られ、自分の馬を渡して曹操を逃した長男の曹昂も討ち死にする。この逃亡劇は赤壁からの逃亡よりも重要な人物を失っている。その後、張繍は官渡の戦いの前に袁紹から同盟に誘われたが、賈詡の進言により曹操に降り、列侯として厚遇を受けた。直立不動のまま絶命した典韋は弁慶のようだし、逃亡劇は三方ヶ原の家康のようでもあると思う。大戦としては赤壁や官渡や夷陵だと思うが局地戦で一番激しかったのは、この曹操の南陽の張繍討伐戦を推したいです。最後ですから王道の赤壁を推そうと思いましたが、何度か違うテーマの時にツイートしたので局地戦で考えました。長期間参加できて楽しかったです。ありがとうございます。