mihiro bund

mihiro bund

orihimemihiroは・・・・

名前、大切ですよね。

個としての存在証明みたいなものです。

そして、親や総父母などの思いが詰まっての名づけのはずです。

 

そんな名前に悪い名前なんて無いって思うのですが

なかには本人が嫌がる場合もあるようです。

様々な理由があるでしょうけど、とくに子供のころは

名前によってからかわれたりしますからね。

それに、子供のすることはけっこう惨いことも平気で

言ったりやったりしますから、なおのこと本人からすれば

死活問題になることも・・・・

 

名前はプレゼントでもあり縛りでもあります。

だからこそ名をつけるときには慎重に考えないといけない。

今はよくても数年後、数十年後にはよくないかも知れないという

可能性も考慮したいものです。

まあはっきりと先のことはわかりません。

どう転ぶかなんて予測するのは難しいです。

そんなこと考えても仕方のないことと言ってしまえばそれまで

ですが、それでも先の心配をするのが親というものな気がしますが

キラキラネームの場合はどなのでしょう?

 

今はいろんなことが肯定的にとらえられる時代です。

名前がキラキラしていても不都合は起こらいかも知れません。

ただ、読めないよね。

あまりにも当て字というか・・・・

 

ゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」の歌詞のように

なれるといいですね。

少年の行方不明事件。

なんか不可解ですよね。

そこで思い出すのは、もう何年前になるだろう

川でBBQだかをやっていて失踪した子がいましたよね。

あれも不可解でした。

そういえばどうなったのでしょうね?

改めては調べていないのでその後どうなったのかを知りません。

 

まあ、疑わしいのは多くの人が考える人物が居るとしても

それでも、もしその人物が犯人なら捕まると思うんだよね。

だけど実際は捕まっていない。

その人物が犯人ではないとするなら、いったい何が起こったのか?

 

荒唐無稽な話になってしまうが、異次元に行ってしまった。

あるいは宇宙人のよる誘拐?

それとも霊的なことや悪魔的なことなのか?

とにかくオカルトの分野なのかとも考えないといけないかも

知れない。

 

毎年8万人を超える行方不明者(届け出済で)がいる。

1300人前後に1人は行方不明となっているんです。

あなたの住んでいる街(市町村)の人口が3万人だとすると

約23人が毎年行方不明になっている計算となります。

こういう数字にするとちょっとビックリしますよね。

しかし、その多くは所在確認出来たり死亡確認がされています。

が、まったく消息不明という人も数は少ないながらも確実に

いるんです。

居ないのにいるって変ですが、そうなんです。

 

人って居なくなるんですよね。

上記で数字にしたように、すごくレアケースではないんです。

ただ、ずっと見つからないというのはレアです。

とくに現在のような防犯カメラ等が至る所にある状況では

まったく痕跡無くって難しいことです。

計画的で人為的な場合か、人ではない何か、なのか?

このどちらかと考えます。

 

今回の件もそろそろ急転直下なことが起こるか

このまま迷宮入りしてしまうのか?

どちらにしても「そろそろ」な気がします。

 

追伸

テレビ局も進展しない捜査をいつまでもやっていないで

こんな時こそ超能力者に依頼して見つけてもらう特番を

やればいいじゃん、って思う。

それが出来ないってことは、捜査系の超能力者はいないのか?

それとも、そういう人はテレビ局には協力しないのか?

あるいは、そういうことは警察から止められているのか?

こういう時こそ、って思うんだけどね。

 

 

 

 

 

 

最近よく聞くというか、聞き過ぎているというか

なんだろうね、聞けば聞くほど多様性が虚しくなってくる。

 

出来ないから、出来っこないから言い聞かせているの?

多様性って無関心でなきゃ無理なんじゃないかと思ったりもする。

人は集団で生きていますよね。

その数が多くなってくると派閥的なものが生まれる。

好き嫌いとかパワーバランスとか、認められない考えその他の

理由によって人は区別し始める。

さらには、どんなことでも認められるかってこと。

例えば罪。

「罪を憎んで人を憎まず」なんて言葉があるけど、ニュースで

見る家族を殺された人が犯人に臨むのは「極刑」。

それはつまり死んでくれってこと。

それってちゃんと人(犯人)を恨んでいるよね。

 

日本は今でこそ外国人観光客も多く、外人を見る機会も多くなって

少しは感覚が違ってきたかも知れないが、それでもまだまだ

多くいると思う外人アレルギーの人。

そんなにひどいものではなくても、理由もなく何となくでも

嫌悪感を抱いたり、怖いと思ったりしちゃって。

 

日本人同士であっても、多くの人と違う特徴を持った人を

快く思わないってこともありますよね?

そんなたいそうなことじゃなくても、他の人よりちょっとおしゃべり

だったり、逆に人見知りであまりしゃべらず一人で居ることのほうが

好きそうな人が身近に居たら?

身長や体格があまりにも違うとか、色黒の人とか色白の人とか

歩き方が変とか走るのが異常に遅いとか、人はそういうことにも

反応しますよね。

なのに多様性って・・・・、

ちゃんと自分や地域、はては国中に言い聞かせないと人というやつは

すぐに違いを認めなくなる。

認めなくなるって優しく書いていますが、本当はもっと辛辣なことですよ。

 

あなたの言っている多様性って、どのくらいのことを想定しています?

そこに具体性はありますか?

そう言っていたり、ちゃっとやってる感を出して満足や安心するための

ものじゃないですか?

「それでもいい、そこから・・・」って肯定的な言葉をかけられることも

あるでしょう。

 

私はいっそ契約で縛ったほうがいいと思うんです。

契約というのはルールだったり、法治国家ならば法律という意味です。

つまり、それを守らなければペナルティーがあるってこと。

人ってそれ無しではうまく生きていけない生き物だと思うんです。

人の感情なんてそれこそ千差万別なのですから、争いの元です。

日本は特に人の感情や感覚任せなところが気になります。

「言わなくてもわかるだろ」的なことです。

「言ってくれなきゃわからないよ」っていうのは馬鹿な気がしますし

ちゃんと伝えなきゃいけないことはちゃんと言わないととも思う。

どちらも正しく、どちらも間違っているように思う。

じゃあ、ってことなんだけど、だからこそ「言っとけ」「やっとけ」

ってことが横行するすると思うんだよね。

 

人は何かよかれと思うことをやっておくのが好きなのだ。

そういうことを言ったりやったりする人に好感を持つんだ。

そういう生き物なんだ。

だから「無関心でいろ」というより「多様性を認める」って方が

何かと都合がいいんだ。

 

な~んて色々と考えてみたんです。

 

 

 

少し前になりますが、幽体離脱だったんじゃないかって

自分の体験を書きました。

その時には触れていなった内容があったので書くことに。

 

幽体離脱だと思われる状態のときに3mほどの高さを

浮遊していると書きましたが、その時に見る光景が時折

当時の光景ではなく、同じところなんですが時代が違う

今より何十年も前の街並みだったことがあることを

思い出しました。

 

そこで思ったのです。

幽体離脱している状態のときって時空も超える?って。

意図的ではなかったですが、今はもうしなくなったので

意図的に出来るかどうかの検証が出来ません。

 

他人のやったり見たりしたことって100%信じられるか

というとそうでもなかったりしますが、自分が体験すれば

それはそうなのだと納得出来ることも多い。

それでも私は疑いますよ。

これは脳が勝手に見せている、やっている事なのではないか

ってね。

それでも他の人が言っていることよりは、ってことです。

 

仮に、死んでわかってもその記憶を持って戻ってこれなければ

何の意味もありません。

行った(逝った)きりではわからないのと同じですからね。

 

不思議体験とかで聞いたりしますが

時空の扉は何処に何時開かれるのでしょうね。

 

 

 

私が今でも信じられないのが将棋の男女分けだ。

筋力が大きく影響する勝負事なら男女を分ける理由は

納得できるが、そうでない場合の勝負事で分ける理由が

わからない。

 

将棋、と書いたが他にもある。

なんか男女で勝負に影響するような頭脳的違いが筋力みたいに

あるのか?

単に昔からある差別のようなものなんじゃないのか?

今どき、って思うことは多々ある。

相撲の土俵、女性は上がってはいけないとか・・・・・

伝統とか慣習とか、守り続けることに意味があるとされている

ことも多いような気がするが、その意味するところとは?って

考えてしまいます。

 

男女平等が言われて久しい世の中にあってなお

これは男女で分ける必要があるのか?ってことが意外にも

まだまだあるものだと。