mihiro bund

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orihimemihiroは・・・・

ナスカの地上絵、山形大学が目的を解明したとのことだが

いまいち要領を得ない。

 

「儀礼」のためとあるが、その儀礼とはどのような儀礼なのか?

そこが一番肝心だと思うのですよ。

 

あんな地上絵をいくつも作っているのですから

そりゃあ何かしら重要な目的があったのでしょう。

「儀礼」って・・・・、宗教的な儀式とかの意味があるようだが

その宗教とは何だ? 

何を崇めていた宗教なんだ? 

何が目的の儀式なんだ?

そこだろ、肝心なのは?

 

研究者とか学者ってのは時にトンチンカンなことを自慢げに

言うよね。

まあそれでないと仕事をしていると認めてくれないとか

地位とかお金とかの兼ね合いもあるのだろうけど、どうも

違和感とか不自然さを感じるんだよね。

 

おまけに、AIにやらせたなんて、中高生の宿題かよ。

だったらギザのピラミッドも何のために作ったのかAIを使って

調べれば?

 

きっと頭の良い人が集まってのことでしょ。

それにしては・・・・何やってんだか。

 

 

余談ですけど、もし儀礼なんるものが、神という名のスターピープルで

それらが帰っていってしまったので祀り崇め、何とか交信しようとした

結果、この儀式(地上絵を作り祈る)をするに至ったのら・・・・・

結局は宇宙人とコンタクトを取りたかったって話じゃんって落ちですよね。

だから「目的が儀礼のためだと解った」じゃあいけないと考えるのです。

 


 

長いタイトルになりましたが、ヤフーニュースの見出しを下記に

 

あわや大クラッシュ!?NEXCOの「トラック追突事故」動画に旋律の声

「回避無理だろ」「怖すぎ」吸い込まれるように車線逸脱…

「忍び寄り走行」に緊急警告

 

こんな見出し。

ぶつかる場面を後方を走っている車からのドライブレコーダー映像だと

思われるものが見れる。

私が言いたいのはこの事故の事では無い。

とはいえ考えてみよう。

 

この事故を乗用車側の行動で防ぐとしたら?

私は3通りしか考えられない。

「このままだとぶつかる」というのは事前に気づいているのは

前提としてだが、まずはぶつかる前に左に避ける。

左に避けなくてもぶつからないように加速する。

あるいはその両方で、左に避けながら加速する。

以上です。

 

こういう状況(似たようなことも含む)になってしまった場合

もし当たってきそうな車が少しでも当たる事前にわかったとしても

私がよく書いている昨今のCVTは急にアクセルを踏み込んでも

踏み込んだほどの加速をしない。

あるいは、アクセルとブレーキの踏み間違い防止で付けている

急激にアクセルを踏み込んでも進まないなどの仕組みになっている車は

こういう危険に気付き避けようとしてアクセルをガッと踏み込んでも

車は加速しない。

つまりは、加速出来ればぶつからなかったのに、加速しなかったから

ぶつかったということになる。

避けれる事故を避けれなくなってしまうのだ。

 

考えてみてほしい。

踏み間違いは人の問題なのでちゃんと運転出来るのであればかなり減らす

ことが出来ること。

車の仕組みでアクセル踏んでも進まないってのは機械的な問題で

人がちゃんとしていればかえって危険な状況を生み出す。

つまり、人が真っ当なら真っ当なほど踏んでも進まないというのは危険

だということ。こればかりは人の技量とか努力では何とも出来ない。

 

頻繁にではないが、結果的にぶつからなかったとしても、ぶつかっても

おかしくなかった状況って時々?まあまあ?あるんですよ。

まったく無いって人は、本当に無いのか、あっても気付いていないだけ

なのかも知れません。

とにかく、私的にはこういう危機回避をしなければいけない事態に

なったとき回避出来ないことへの危険を訴えているんです。

あるいは、その加速の鈍さが危険を招いている。

 

合流や追い越しだってそうですよ。

上手く加速してスムーズに合流する。

追い越す場合、自分が入ろうとする車線の後方からの車に迷惑を

かけないように車線変更が出来るか?

(後方から来る車に強くブレーキをかけさせていないか? など)

私が見ている限り、出来ない人多過ぎ。

ひとつは運転手の問題。

もうひとつは車の構造的問題。

上記した踏んでも走っていかない車に慣れすぎて他車に迷惑とか危険な

思いとかお構いなしに運転する癖がついてる人も多いのではないかと

思う。

だから安全運転の教え方がそもそも悪いと思うんです。

「スピードをだすな」

適切には加速でも定速でも出すのは必要です。

たとえ違法でなくても迷惑行為なのは間違いないからです。

制限速度50キロの道を40キロ±1キロくらいで後続車が何台、何十台と

いるのに平然と走り続けたらどうでしょう?

書きませんけど、こんな人は山ほどいます。

優先道路にわき道から出て来て後続車となった車に強くブレーキを踏まなければ

ならないほど鈍い加速しかしなかったら後続車はどう感じるだろう?

さらには、上記のようにゆっくり走り続ける。

 

頭のおかしい運転をする人と危険な仕組みの車の組み合わせなんて

それはそれは恐ろしいことなんですよ。

なにも爆音たてて暴走している輩ばかりが危ないのではない。

むしろ上記しているような運転をしている人のほうが数的には圧倒的に

多いのですから、私からすればどちらが危ないかは明白です。

日常的にどこにでもいる訳ですからね。

 

 

 

 

私は車が好きなので車を例にしますが、昨今は芸能人が

YouTubeなどに自分の車を、それも改造したりドレスアップ

したりなど、とにかく動画を作ってアップしている。

 

あれって、多少なりとも収入が発生しているなら、それに使用

している車は経費の対象に出来てしまう。

また、どこかがスポンサーになっている場合もあるようで・・・

それって本当の意味で楽しめているのかなって、芸能脳になっている

人たちはそれでいいのかなって考えてしまうのです。

 

楽しんではいるが、それって金稼ぎでもあるし

経費を使って節税対策している、それってもはや仕事の領域ですよね。

遊びを楽しんでいるようで仕事を楽しんでいる感じではないでしょうか?

私が思う本当に楽しいことって、そんな事とは無縁なところにあると

考えるのです。

 

経費で落とす訳でもなく、スポンサーがいる訳もなく

ただただ自分のお金と時間を浪費しているだけ。

もちろん、出来ることは限られます。

でも自由だ。

 

大谷選手の50号ホームランボール。

 

もし私が取ったならば、球団(ドジャース)に返すよ。

まあサインボール1個くらいは欲しいけどね。

 

だってさあ、球史に残るそんなボール、いくら売ったらお金になる

といってもそいうもんじゃないでしょ。

自分なんかが個人で扱っていいはずもないし、ましてそれをお金に換える

なんて出来ないよ。

だったら、ちゃんとその価値を未来永劫残してくれるところ(球団)に

お返しるのは当たり前と思うからだ。

そういう球なんだよ、この歴史的記録の球は。

 

大谷翔平選手が50-50達成しましたね。

 

私が今回書く「やっと」というのは、ベーブルースの時代から

薬物使用が問題視された時代を経て、やっと近代野球の記録が

意識も含めて塗り替えられたんじゃないかと思えるのです。

 

何でもそうですが、あまりに古い時代と比べられても

現在とは全く違うから比べものにならないと思いますよね。

それでも人は比べたがる。

そこに数字がある限り。

 

幾つものMLB記録を塗り替えている昨年や今年の大谷選手。

今後塗り替えられるかどうかはわかりませんが、少なくとも

大昔の記録だったり、薬物使用および実際には疑わしい時代の

記録も近代野球が多くの記録を塗り替えれた。

そんな決定的な日にもなった今日です。

 

だって思いませんか?

100年前と比べても・・・・って。

あと、薬物使用の疑いがある時代と比べても・・・って。

そういう意味での「やっと」です。

 

それぞれの時代の偉業は偉業として、単純に数字で比べるのは

どうかと思うだけです。

ルールも変われば使う道具も進化しています。

どの時代も凄いことをした人は凄い訳ですから。