最近よく聞くというか、聞き過ぎているというか
なんだろうね、聞けば聞くほど多様性が虚しくなってくる。
出来ないから、出来っこないから言い聞かせているの?
多様性って無関心でなきゃ無理なんじゃないかと思ったりもする。
人は集団で生きていますよね。
その数が多くなってくると派閥的なものが生まれる。
好き嫌いとかパワーバランスとか、認められない考えその他の
理由によって人は区別し始める。
さらには、どんなことでも認められるかってこと。
例えば罪。
「罪を憎んで人を憎まず」なんて言葉があるけど、ニュースで
見る家族を殺された人が犯人に臨むのは「極刑」。
それはつまり死んでくれってこと。
それってちゃんと人(犯人)を恨んでいるよね。
日本は今でこそ外国人観光客も多く、外人を見る機会も多くなって
少しは感覚が違ってきたかも知れないが、それでもまだまだ
多くいると思う外人アレルギーの人。
そんなにひどいものではなくても、理由もなく何となくでも
嫌悪感を抱いたり、怖いと思ったりしちゃって。
日本人同士であっても、多くの人と違う特徴を持った人を
快く思わないってこともありますよね?
そんなたいそうなことじゃなくても、他の人よりちょっとおしゃべり
だったり、逆に人見知りであまりしゃべらず一人で居ることのほうが
好きそうな人が身近に居たら?
身長や体格があまりにも違うとか、色黒の人とか色白の人とか
歩き方が変とか走るのが異常に遅いとか、人はそういうことにも
反応しますよね。
なのに多様性って・・・・、
ちゃんと自分や地域、はては国中に言い聞かせないと人というやつは
すぐに違いを認めなくなる。
認めなくなるって優しく書いていますが、本当はもっと辛辣なことですよ。
あなたの言っている多様性って、どのくらいのことを想定しています?
そこに具体性はありますか?
そう言っていたり、ちゃっとやってる感を出して満足や安心するための
ものじゃないですか?
「それでもいい、そこから・・・」って肯定的な言葉をかけられることも
あるでしょう。
私はいっそ契約で縛ったほうがいいと思うんです。
契約というのはルールだったり、法治国家ならば法律という意味です。
つまり、それを守らなければペナルティーがあるってこと。
人ってそれ無しではうまく生きていけない生き物だと思うんです。
人の感情なんてそれこそ千差万別なのですから、争いの元です。
日本は特に人の感情や感覚任せなところが気になります。
「言わなくてもわかるだろ」的なことです。
「言ってくれなきゃわからないよ」っていうのは馬鹿な気がしますし
ちゃんと伝えなきゃいけないことはちゃんと言わないととも思う。
どちらも正しく、どちらも間違っているように思う。
じゃあ、ってことなんだけど、だからこそ「言っとけ」「やっとけ」
ってことが横行するすると思うんだよね。
人は何かよかれと思うことをやっておくのが好きなのだ。
そういうことを言ったりやったりする人に好感を持つんだ。
そういう生き物なんだ。
だから「無関心でいろ」というより「多様性を認める」って方が
何かと都合がいいんだ。
な~んて色々と考えてみたんです。