社会的なことをあまり書くことはないのですが、今回は少し書きます。


大阪の体罰の関係で不幸な結果を招いたのではという事件。

本当に悲しい出来事です。

体罰の良し悪しについては、色々な原因があったのかもしれませんので

何とも言えませんが関係があるなしに関わらず結果は最悪です。


選手(学生)がいうことを聞かなかった(プレーができなかった)から体罰を加えた。

個人的な意見になりますが、これは指導者の指導力不足だと思います。

指導者は選手(学生)の才能を引き出し、競技の結果向上の手伝いが役割です。

指導者の言うとおりに従わせるのが役割ではありません。


もし指導者のイメージを通りにプレーさせたいのであれば選手が理解できる説明を行う(話・見本・補助)。または選手が自主的にそのプレーに近づけるよう一緒に考える(コーチング)。が大事な点になるでしょう。


指導が通用しないから「体罰」ではとても指導技術は上がりません。


僕はスポーツは「文化」だと思っています。

「音楽」、「美術」、「芸能」と同じです。


音楽や芸術では今回のような不幸な結果はおきませんが

スポーツでは度々おこります。この点がスポーツが文化として遅れているのではないかと思います。


今回の事件は他人事ではなく、意外と身近なことだと感じました。

例えば、トレーナーに言われたトレーニングをしたら怪我をした。

コーチに言われた練習をしても技術が向上しない。やる気がなくなった。

以上のようなことの責任は指導側にあるのではないかと常々思っています。


でも、選手(受講生)はあまりほとんど文句を言いません。

指導者は自分の課したメニューや内容にもっと責任を感じていなくてはいけないのではと思います。


自分がどこまでできてるのかという点については、まだまだ至らない点が多々あるとおもいますが、選手(学生)の心に寄り添ってトレーニングを進めていこうというスタンスだけは崩さないようにしています。


今回の時間はこのような気持ちを再度確認するきっかけになりました。


んー、たまには真面目に書いてしまいました。