今日は目覚めてすぐに本を読みだした。
中村航さんの「絶対、最強の恋のうた」。
よかった。
誰も死なないところがいい、と思った。
泣かなくて、しあわせだった。


最近涙もろくなっている。
シリアスとコメディが混ざった海外ドラマを見て時々涙を流している。

ベッドから――といいたいところだが、私はベッドを持っていない――ふとんから
むくりと起きると、なんだかお腹が減っていることに気づいた。

「最強の恋のうた」を置いて、お湯を沸かした。

予想以上に暑かった。窓を開けて換気して、さて、
掃除をしなければいけないな、と思った。

けれどもそれより先に、食べなければいけないな、と思った。

昨日買ったみたらし団子を一本食べて珈琲を飲んだ。
どんな組み合わせだ、と自分につっこみをいれながら。

カーテンの隙間から向かいの病院を覗いた。
窓から人の影が見えた。私以外の誰かの生活が、およそ10メートル先に営まれていた。

私はいったいどうしてしまったんだろう、と思った。
このままではダメだダメだダメだダメだとなんかの物語の主人公のようにつぶやく。

上から読んでも下からよんでも同じ言葉だった。

その横の空間に、会いたい、とつぶやく。
(まだ余白があるならば。)

ご飯の後には、掃除にとりかかった。
最近の日曜日はいつも念入り清掃に取り掛かっている。

「念入り」だって。念入り。
うちの学校ではいつでも、掃除を「念入り」に行うように指導している。

まずは洗濯機に洋服やら下着やらタオルやらを詰め込んで多めの水で
ぐるぐるぐるぐる回す。アタックネオと柔軟剤を忘れない。

それからキッチンを綺麗にする。どっかの洗剤のCMソングをつぶやきながら。

布団を干し、床を履き、コロコロで布製品をキレイにし、ファブリーズする。

「ファブリーズする」はもはや動詞だった。
「勉強する」とか「ふろ掃除をする」とか「愛する」とかと同じになりつつあった。


私はこうして儀式の手順を踏んだ。
着実に、確実に、静粛に、禊の儀式は営まれた。

部屋は私自身の心を表している。
淀みや黄ばみや匂いや不純な感じを一斉に取り払いたかった。

だいたいの掃除が終わったけれど、あとは洋服だ。

洋服は一着買ったら、一着か2着は捨てなければならない。
本来、そういうものなのだろう。

惜しいけれど、仕方ないのだ。
そういうものなのだ。
新たな感情が脳内に加わったのなら、
むかしの記憶に「コンコン、そろそろ出てってくれませんか」

と言わなければならない、そういうものなのだ。


そろそろ洗濯物をたたもう。
もとの位置に、あるべき場所に、もどそう。