この前の授業の前に、
院生(たわむれ)室にてレジュメ準備していたら
彼が私のレジュメのあらすじ部分を一瞥し、

「ながっ」
と言いました。 

もういいわい。

相手のを見てみると(私と一緒に発表あたっている)、彼のあらすじも長い。

「自分だって長いぢやん」

「だって俺3章分あたってるもん」

確かにそうだった。いつでも間違いがなかった。
分量的にも、内容の充実(テクストの深み)から見ても、確かに
彼のあたった範囲のほうが、レジュメ作成の際の構成が難しいことが予想できた。

私のあたった範囲は短いのにも拘わらず、
だらだらと長かった。そのことは認めざるを得ない。

「短ければいいってもんぢやない」

私はそれだけやっとの思いで言うと、彼は同意した。

「そりゃそうだけど」

彼は私のレジュメを取るとサッと目を通した。
途中まで読んだところで私に返した。


「出た、会話。●●方式。」

この●●方式とは、あらすじに会話文を数多く載せることがそのレジュメの特徴的なドクタアの
先輩の名前です。私は別に良いと思うけれど。そういうことを影で言う私たちって、なんなんだろう、
と私の幻滅と偽善で塗られたもやもや感が拡張して院生たわむれ室を暗欝にする。

私は会話文を二つだけあらすじに載せていた。たとえば、○○(登場人物)は、「---。」と言った。
「---」と。 とそんな具合です。

もういいや。
議論しても始まらない。

授業中彼のあらすじに目を通すと、やっぱり上手かった。

「自分の言葉で、自分の解釈も多少反映されてもいいと思う。」

といっていた彼の言葉を思い出す。

なんだか負けた気がした。文学に勝ち負けもあるもんか。
時にはそれがきれいごとのような気もする。

勉学と人間関係をごちゃまぜにしたのは誰だ?
ほかならぬこの私だ。

私は自分の視野の前にかかるベールを取らなければいけないのだろう。
分かっている。そのバランスを取ることが出来るようになって、初めて自分が確立するような気がする。
無論それは自分にとってはという意味で、文学を志す者全員にとってのゴールではない。

昨日なんて、声さえ掛けられなかった。
まるで視界にも入っていないようだった。

私は放り込まれた。
女のヒール靴からは甘くて偽善的な香りがした。
男たちのテニスラケットの編み目からは誘惑がこぼれでていた。

去年の今日、めちゃくちゃ泣いたのを覚えている。
たくさんの疑問を、時々雲間から顔を見せる月に向かって投げかけながら。

今年の昨日、私の頬には同じく涙がつたっていた。
記憶は徐々に薄れていく。愛しいと思うほどに。
記憶を抱きしめていたい。けれどもその記憶は指の間からこぼれおちていく。

記憶?

あなたの大好きなテーマですね。どうか研究しなさって。
どうか、あなたが信じるその記憶とやらと寝て下さい。

その隅っこのへんに私がいると分かっても、
もう喜ばないかもしれない。愛らしい記憶は、もう走り去ってしまっただろうから。

あ・らすじ
あら・すじ
あらす・じ

私は本を手にとった。
言葉は、私の体にしみこんでいく記号たちは
なんて優しいのだろう。暴力的な言葉でさえ愛らしいとさえ感じる。

人とかかわるのは怖い。
けれど文学を読む上で、感じる快楽は一生その体に甘美な痕を残す。

あらすじさん

さよなら。もう拘るのはやめようかな。
生きていれば、良いのだから。
本が片手にあればいいのだから。