この前、あの人が私が研究している作家を取り扱っている本を
高田馬場の古本屋さんで見つけたと言っていた。
タイトルと著者名はほとんど忘れたという。
なんとなぁく覚えているという。
その後一緒に授業に出た。よく古本屋一緒に見たよね、
そんな感傷に浸っている痛々しくて幼い心はいつしか私から消えた。

授業をやっているとあらすじ・りゅういてん をレジュメに書くことが必須となる。
女のあらすじ、男のあらすじ。 これが面白いほどに対照的だということに気づいた。
女のあらすじは、登場人物の会話を盛り込み、原著に忠実に文章を生かして、あらすじを書く。
女は過程を中心に書く。

男のあらすじは、自分の言葉に直すという手続きを経た文章が並んでいる。そこにはあまり会話文は見られず、「結果的に」「結局」に重点が置かれる。

女の言葉は、過去形が多くて男の言葉は、現在が多い(ことに気づいた)

このことから、男・女はこういったもんだ、と結論付ける気持ちは毛頭ない。
けれども私はいつだって男のあらすじに言いくるめられ男の言葉に負ける。
あるいは気持ちで負けている。同じ研究をしている同士が上手くいくのは珍しい。

私はあの人と別れた2日後、お話をした。その際に、「私の側の話だけだから、あなたの方から語ったらそれは違うことになるかもしれない」という言い回しをしたことがある。
「そういった言葉自体が、文学にとりつかれてるよ」といようなことを彼は言っていたような気がする。

男女が分かりあうのは難しい。私はあの日喫茶店でコーヒーを2人で最後に囲んだ日に、そう悟った。当たり前のことかもしれないけれど、幻想とか理想で塗り固められていた私の抱く男女観に対して初めて
「これではだめなんだ」と思った日だった。あの日の私は強がっていた。

「あらすじに会話文なんかいらないよ。」

あの人はそう言っていた。
そうかもしれない。
バランスが重要なんだ。自分がこれでいい、と信じることが出来ればいい。
もちろん、向上していく気持ちを常に携えながら。

授業後、先生と話してから、携帯メールを見たら

あの人からだった。

例の本の正式のタイトルと著者名が書いてあった。
「うちの大学の図書館にも置いてありますな」、とも書いてあった。


ふん 調べてくれたんかい。
嬉しいけど、私はもう前よりはパワーアップしてるから
絵文字のついたメールは送らないよ。ありがとう。調べてみるね。ってね。

こうしてアンビバレントな気持ちに自分はいつも宙ぶらりんだけれども、今まで「確信」に満ちすぎていた大学時代を過ごしてきた私にとっては、こういった時期も必要なのだと思う。

なんだかとりとめもない内容になったなー。笑

今週はプレゼントで、例の「あらすじ」と格闘しなきゃならんのです。
だから、頑張りますね合格