昨日、25歳の誕生日を迎えました。

いやぁ月日がたつのは早いですね。

ここ最近、「泣き虫」からの脱皮への道へ
うまーく進んでいた(ような気がする)のですが、
昨日、ついに泣いてしまった。

頭の中の記憶とは恐ろしい。
ありがとうね、ごめんね、ありがとうね、ごめんね

を繰り返しながら私はわけが分からなくなる。

私のすべて―皮膚とか臓器とか心とか心のどこか分からないような場所とか―が記憶しているのです。その記憶がのどのあたりからググと上昇してきて、気づいたら、両目からこれでもかと溢れ出てくるのです。

フラッシュバックのように記憶に覆われた。
我慢していた涙がぶわと流れた。
見られるとやばいので、トイレで泣きました。

でもですね、悲しいからないてるんじゃない、と自分を正当化してみました。そしてある種のカタルシスなので、良い作用だとも言って自分を励ましてみる。

弱い私よ。

そうして私は頭の中でつぶやいた。

それは私の25年前の涙という名の産声だ。
産道を通る胎児の――私自身の苦しみだ。
母親の涙だ。

涙を流して、私はまた生まれたのだ。



25歳のわたし。
よろしくちゃん。

これからまた新たな1年が素晴らしいものとなりますよう。


最後の言葉は、やはり

ありがとう


ありたいのだ。