戦国のクリスマス休戦(織田信長公の気まぐれ)
 
昨年は「1568年の三好・六角連合軍VS織田軍の戦いで松永久秀公が織田信長公に働きかけてクリスマスの2日間に一時休戦が成り立ちました。」との記事をブログに書きましたが、その当時のキリスト教の布教状態についてはどのようなものだったのでしょうか?

日本で最初のクリスマスは1552年に大内義隆公が周防で祝ったと伝わっています。その後、豊後の大友宗麟公が領内での布教を赦し、自らもキリシタン大名となります。

戦国時代にキリスト教の影響は意外と大きく、高山右近公、黒田孝高公、大村純忠公らもキリシタン大名として知られています。また、宗麟公が日向の国にキリスト教の理想郷を築こうとした耳川の戦いは、現在でも宮崎県の無鹿町(MUSICA:ポルトガル語で音楽の意味)として名残をとどめています。

クリスマス休戦に応じた織田信長公ですが西洋文化に傾倒していたこともあり休戦に意外と本気だったのかも知れません。