豊後のキリシタン大名・大友義鎮公のジョーティッシュ鑑定2
天文9年2月3日に将軍・足利義晴公から偏諱を受け、義鎮と名乗りました。
※生年月日が不明のため仮定してホロスコープを作成しています
2室 魚座
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3室 牡羊座 Ma Ke |
4室 牡牛座 Sa |
5室 双子座
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1室 水瓶座 Rag Su Mo |
大友 義鎮公 豊後国(大分市) 1530年1月31日 出生図 |
6室 蟹座 |
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12室 山羊座 Ve Me |
7室 獅子座
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11室 射手座
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10室 蠍座
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9室 天秤座 Ra |
8室 乙女座 JuR |
義鎮公の土星は、4室にあることから人生のテーマは家です。
4室の土星と12室の金星は、星座交換することでお家騒動を暗示します。
父親を表す9室にラーフがあり、ラーフの在住する位置は今世のカルマを表すため、父親を乗り越えることがテーマとなります。
天文19年2月の土星/金星/ラーフ期に父・義鑑公は、三男の塩市丸に家督を譲るため義鎮公の廃嫡を画策しました。義鎮公に別府浜脇への湯治を勧め、粛清しようとしますが、逆に返り討ちあってしまいます。二階崩れの変と呼ばれるこの事件により、義鎮公は異母弟の塩市丸とその母を討ち、父である義鑑公も負傷がもとで死去することとなり、家督は義鎮公が継承しました。
義鎮公を表す土星のナクシャトラ(宿曜)はクリテッカーです。クリテッカーを持つ人は鋭いカミソリの刃で象徴されるように、切れ者かつ気高い人を表します。クリテッカーは、太陽が支配します。義鎮公の太陽は目下を支配する月と同室し、部下を自分に従わせる配置となります。
義鎮公を支えた戸次鑑連公は、名将として知られる武田信玄公に「一度会ってみたい」と言わしめるほど有能でした。また、軍師の角隈石宗公は易で軍略を立て常に大友軍を勝利に導き、吉岡長増公は巧みな外交により財と安定をもたらしました。このように大友家は優秀な家臣たちに恵まれ発展していくのでした。
その3に続く