今回も「預言者mebiusuの独り言」から、「お母様の歴史的事実 3 洪順愛大母様は、マリア様です!」をご紹介したいと思います。
自分で読み直してもなかなか、鋭いことを書いているなと思います。
人それぞれですので、私の投稿を読んでも、そんなこと無いと一蹴される方もいるでしょう。
現在の「お母様」の言動を見たときに、だだ、闇雲に、「お母様」を批判するのではなく、なぜ、「お母様」がそのような「独生女」であり、「無原罪」でお生まれになられたと御主張されるのか、を知るために、「お母様のご出生の背景」をよく、考察することが重要であると思います。
そうすることにより、今までに解からなかったことが解かってきます。
それでは、ご紹介します。
● お母様の歴史的事実 3 洪順愛大母様は、マリア様です!
昨日の投稿で、
『洪順愛大母様と韓承雲氏の婚姻が作り話であれば、そのときにおいて、洪順愛大母様は「未婚」であり、ある男性と出会い、「お母様」を妊娠されたということになり、その男性が、既婚者であれば、洪順愛大母様は、「不倫」されたことになり、お母様は、「不倫の子」ということになりますが、その男性が未婚者であれば、未婚者同士ですので、「不倫」ということにはなりません。
いずれにせよ、お母様は、洪順愛大母様と韓承雲氏の間にできた子供ではなく、
洪順愛大母様と「私と二月の終わりに出会い」の男性との間にできた子供であることが推測されます。』
と書きました。
『すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。(中略)」。
そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。
御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。神には、なんでもできないことはありません」。
そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。
そのころ、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、ザカリヤ(高位の祭司であり、エリサベツの夫)の家にはいってエリサベツにあいさつした。エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベツは聖霊に満たされ、声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。
するとマリヤは言った、「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救主なる神をたたえます。この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。(中略)」
マリヤは、エリサベツのところ(つまりザカリヤの家)に三か月ほど滞在してから、家に帰った。
(中略…この間、ザカリヤとエリサベツの子ヨハネが生まれ、マリヤは妊娠する。)それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。』(マタイによる福音書1.30-2.5)
祭司長ザカリヤは、妻帯者でした。ヨセフと婚約中に、マリアは、祭司長ザカリヤと「不倫」したことになります。
お父様の御言葉に、
『韓承運先生と大母様が、婚姻されたのちに、本家に定着した一家団欒の生活ができず、早くから離れ離れになって、独立した生活を送るようになったのも、究極的には、天の摂理的な導きによるみ旨の歴程であったと言わざるを得ない。』
(2008年発行「実録・洪順愛大母様の生涯と信仰」より)
という御言葉があるそうです。
まるで、大母様がヨセフと婚約中のマリアのようではないですか。
「大母様(洪順愛)の実家は、熱心なプロテスタント(長老教)の信者でした。大母様(洪順愛)の名前もプロテスタント(長老教)の牧師の方がつけたくらいです。
もちろん大母様(洪順愛)も幼少のころから既成教会に通い、19歳ごろ異端の李龍道のイエス教に傾倒するまでは、熱心なプロテスタント(長老教)信者だったようです。」
「1933年(19歳)から1936年(22歳)ごろまで李龍道・李浩彬・韓俊明氏らと共にイエス教で信仰をしています。その後は、聖主教・腹中教で信仰します。」
ということです。
私は、お父様の語られた「韓承運先生と大母様が、婚姻されたのちに、」という御言葉を素直に受け入れませんが、「究極的には、天の摂理的な導きによるみ旨の歴程であったと言わざるを得ない。」というお父様の御言葉の真意を思わざるを得ません。
信仰一筋に生きておられた洪順愛大母様が、「私と二月の終わりに」ある特別な男性(祭司長ザカリヤのようないと高き者)出会い、マリアのような信仰により、「お母様」を授かったということが言えるのではないでしょうか。
マリアが祭司長ザカリヤと関係を持つことにより、「イエス・キリスト」が生まれたように、
洪順愛大母様が、特別な男性(祭司長ザカリヤのような、いと高き者)との関係により、生まれてきたのが、「女イエス・キリスト」(無原罪のエバ)である「お母様」であると思われます。
それゆえに、神様は、証を残されています。
姜義弘女史(36家庭)の証
『私は一九五五年の後半から一九六二年まで鷺梁津で呉(故呉永春)執事、大母様と共に借家で一つの垣根の中で暮らしました。この期間に大母様と呉執事から北で信仰生活なさった事情についてたくさん聞きました。大母様と呉執事のお二人は、北で再臨主を迎えようという熱烈な信仰集団で血縁以上の姉妹としてお過ごしになりました。北の共産主義の虐政が日増しに極悪になって、この信仰集団にも例外なく迫害が加えられました。このような渦中にあっても、ひたすら再臨主を迎えようという信仰は火のように燃え上がりました。このとき、大母様が懐妊なされました。
懐妊なさった大母様と食口たちに天の驚くべき啓示がおりました。唯一の望みが再臨主に出会うことだったのですが、天の啓示が、「順愛よ、おまえのおなかの中の赤子は再臨主であられる。貴く心に留めよ」というものでした。それだけではありません。複数の信徒たちにも「順愛のおなかの中の赤子は再臨主であられる。貴く心に留めて精誠を尽くしなさい」という啓示がありました。このような途方もない驚くべき啓示を受けて感謝と喜びと希望で再臨主とすぐにでも会ったような楽しいお祝いの雰囲気でした。待たれる再臨主の誕生日を指折り数えて待ちました。出産予定日になって大母様が再臨主を分娩されて、周囲が皆、希望していたことが現実として迫りました。
そのときのことを、真のお母様のご聖誕日を迎えて回想してみましょう。正に赤子は、この世に来られたことを天地に宣布する声と共に誕生しました。ところが当時、大母様とすべての信徒たちは喜びとともに一方では怪訝に思いました。再臨主と言われたのに男の子ではなく女の子が誕生したのです。このとき、神様は、どれほどもどかしかったことでしょうか。神様は、独り子を送り、貴く思って、信じて仕えて従うようにみ旨をくださったのに、男の子ではなく女の子だったのです。天の隠密な摂理のみ旨が分かりませんでした。』
(2003年発行「真の愛の勝利者」姜義弘女史(36家庭)の証より)
「再臨主と言われたのに男の子ではなく女の子が誕生したのです。」
この事実は、何を意味するのでしょうか。
マリアである洪順愛大母様と特別な男性(祭司長ザカリヤのような、いと高き者)との関係により、生まれこられた方が、「女イエス・キリスト」(無原罪のエバ)であり、お母様より23年前に地上に御降臨された「再臨主」と血縁があることが推測されます。
★ お母様の歴史的事実 3 洪順愛大母様は、マリア様です!
清平のテモニム(大母)信仰が生まれたのも、洪順愛大母様が、マリア様と同じ使命をもたれていたからと思われます。
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