「お母様の歴史的事実 御父様の御聖和編」 に入りたいと思います。
「御父様の御聖和編」は、「お母様の歴史的事実」であり「御父様の歴史的事実」であり、「亨進様の歴史的事実」となると思います。これからどうなっていくのか、分かりませんが、
まず、「真のお父様が聖和された瞬間」についての報告が存在しているので、確認してみたいと思います。以下、私の投稿「御父様の無念な中での御聖和と隠蔽」の全文を載せます。
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御父様の御聖和の真相など関心がないという方が増えていると思いますし、いまさら、何が起きたのかを知ったってしょうがないと思われている方も多くいると思いますが、8月3日に聖母病院に検査入院してから9月3日の御聖和まで、わずか1ヶ月で、この地上から他界された再臨主の他界にいたるまでの尋常ではない経緯を知るにつけ、「御父様の御聖和」から見える「真の御父母様」、「真の御家庭」について私なりに、しっかり確認していきたいと思います。
御父様の御聖和に関連する「安楽死」疑惑は、二つあります。
一つは、亨進様・国進様が阻止したと主張される聖母病院での、2012年8月28日の対策会議と時において、お母様が「御父様の安楽死」を法的手順を踏むことなく実行しようとした「安楽死」疑惑です。亨進様は日時を特定されていませんが、亨進様を支持される「聖霊とともに―メシヤの涙」のブログ主の諸星くるとさんが、記事において、特定されているためその日に、その出来事は起きたということにしました。)
『その時お母様はお父様の生命支持装置を取ろうとされました。
私は、「お母様、あなたはそれをすることができません。」と言いました。そうしたら、お母様は私にびんたをくわせました。私はお母様に、「もしあなたがそれをすれば、あなたは殺人者になります。50年間の苦労を無駄にしないでください。」と言いました。』
上記の話が作り話ではないとしたら、お母様がお父様の生命支持装置を取ろうとされたことが法的には「殺人未遂」という疑惑となりますし、そのときの「生命支持装置を取ろうとされた行為」がその時初めてなのか、その時以前に何度か行われていたことなのかと言う疑惑が生まれます。
投稿「亨進様の「御父様安楽死」証言の問題点」
「生命維持装置」を取ろうとされたのは、一度きりなのだろうか。」
をお読みください。
今回は、二つ目の御父様の「安楽死」疑惑についてに考察することにより、御父様の「安楽死」が実行されてしまった可能性、そのことを、隠蔽されてしまっている可能性について考察したいと思います。
先回の投稿で、
「御父様の聖母病院から聖平の清心病院への転院」の決定は、何を意味しているのか。
1.移動中のちょっとした事故でも、御父様は「死亡」される可能性がある。
2.清心病院の理事長を当時、金孝南氏がしていたので、すべて、内密に、正規の手続きを踏まず、御父様を「安楽死」させられる。
と書きました。
世界会長であり、御父様の相続者、代身者の立場である亨進様は、その決定に対し、
『当日のお母様の御父様の安楽死」を止めたから、あとの決定は反対しなかった』
ということで、その決定を止めようと全くされなかった為、案の定、
清心病院に転院して、「2日と6時間14分」で、御聖和されました。
「清平で御聖和するまでの「2日と6時間14分」の暗示」
2012/09/08の「今日もいいことがある!統一教会員のブログ」タイトル「お父様が聖和された瞬間の様子」に証しが載っています。
「真のお父様聖和の弔問初日に、清心平和ワールドセンターで梁昌植会長による礼拝が行われました。」
「そこで真のお父様が聖和された瞬間が報告されたそうです。
その内容によると
お父様は真のお母様と御子女様たちによる聖歌「園の歌」と「サランへ、アボニム」の歌を歌われた
お母様はお父様の手をずっと握られていた
お父様が霊界に行かれる直前、お父様はお母様の手を指でトントンと二回小さく打たれた
文亨進世界会長が祈祷される中、お父様は天暦7月17日(陽暦9月3日)午前1時54分に聖和された
ということです。
とありますが、
「文亨進世界会長が祈祷される中、お父様は天暦7月17日(陽暦9月3日)午前1時54分に聖和されたということです。」
とありますが、
清心病院の御父様の「安楽死」の疑惑に関して、亨進様は、
「当時、清心病院では、最後まで酸素がお父様に付けられ、聖和後になってはずされました。」
と語れただけです。
「私が、祈る中で、聖和されました。」とは語られていません。
また、再臨主であり、人類の「真の父」である御父様の御聖和の瞬間を、ビデオで御録画していないという、御父様を聖母病院に転院されるという決定がされた8月28日の対策会議においても録画されていたにもかかわらず、
「お父様は真のお母様と御子女様たちによる聖歌「園の歌」と「サランへ、アボニム」の歌を歌われた
お母様はお父様の手をずっと握られていた
お父様が霊界に行かれる直前、お父様はお母様の手を指でトントンと二回小さく打たれた
文亨進世界会長が祈祷される中、お父様は天暦7月17日(陽暦9月3日)午前1時54分に聖和された
ということです。」
という歴史的瞬間をビデオに撮ることをされていないということは、もし、上記の証が偽りでないのであれば、ありえないことであると思われます。
亨進様の御父様の御聖和の「安楽死」の疑惑に対しての説明が、ご本人が、その場に立ち会っていないことを物語っているのではないでしょうか。
また、「お父様は真のお母様と御子女様たちによる」とありますので、国進様もその場に立ち会っているはずですが、国進様からの御父様の御聖和の証は、皆無であると思われます。
必ず、ビデオで録画されていた教会であったにも関わらず、御父様の御聖和の歴史的瞬間を録画していないということは、証にあるようなことがなかったということの可能性が高いと思われます。
そして、実際は、
「9月3日に日が変わり病室にいた、お母様、訓母様が「皆、病室から出なさい」と指示をされたそうです。病室に残ったのは、お母様、訓母様、医者(食口)の3人だけだったそうです。(国進様、亨進様もお部屋に戻られたそうです。)
そして、どのくらいの時間が過ぎたのか知れませんが、お父様が聖和されたそうです。」
「そして最後、お父様が息を引き取る時にお母様、訓母様と一緒にいた医者が、お父様の聖和後、お父様が息を引き取るまでの内容をインターネットで暴露?したそうです。自分はお母様と訓母様の指示によって酸素呼吸器を外したと...そのインターネットの内容はすぐに削除されたそうです。」
という内容が現実的に起きたのではないでしょうか。
「(国進様、亨進様もお部屋に戻られたそうです。)」
お二人が、その時に
「しかしカイン・アベルが一体となって、力の限りに反対してこれを防ぎ」
という亨進様からのご説明はありません。
なぜ、8月28日のことを異常にアピールされるのか、に疑問が湧きます。
歴史的瞬間の映像も無く、
亨進様の「私が祈っている中、聖和されました。」という言葉も無く、
国進様のそのときの証も一切無く、
御父様は、御聖和されました。
御父様は、無念の中、御聖和させられた可能性があります。
「御父様御聖和調査委員会」が誰にも立ち上げられなかったと
未来の方たちが歴史を紐解いたとき、再臨主の惨めな最後に同情することでしょう。
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お母様が、御父様の御聖和のご様子を語られたことがありますか。
亨進様、国進様が、御父様の御聖和のご様子を語られたことがありますか。
もし、御父様の御聖和という「歴史的瞬間の映像」を撮られたとしたら、とても恐ろしい映像を見ることになると思います。
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