最近、「中学生が自殺、原因はいじめ」みたいな記事をよく見る。

こうしたことは報道されなきゃいけないし、世に認知されるべきことなんだろうけど、自殺した時に待ってましたとばかりに大々的にニュースに取り上げられるのには違和感を感じる。一度どこかで自殺があると、報道陣は第一にいじめを疑い、学校側も調査を始め、親も学校への追及を始める。

なんか言い方は悪いけど、これだと自殺がいじめられていたことを訴える手段になってない?とさえ思ってしまう。

親も自殺が発覚すると、学校は何をしていたんだ、と怒りを露わにしがちだけど、親は何をしていたの?とツッコめてしまうケースも多いんじゃないか。もちろん子どものために親が一生懸命に愛情を注いできて、それでもどうにもすることが出来なかったというケースもあるかもしれない。だけど、もっと親なりに出来たことがあったにもかかわらず学校に不幸の原因の全責任を押し付けて正義を自負するのは、一種の無責任なのかなと思う。怒りを露わにすることが子どものための行動としては一足遅いということに、気づいていないんじゃないかなと思う。

僕は保護者を経験したこともないし、いじめの被害者として自殺を考えた経験があるわけでもない。だから、この記事には未熟なところが多いかもしれない。だけど、こんな自殺ブーム、もうやめにしようよ。いじめこそ"予防"から始めるべきで、「死」がいじめ対応の唯一のスタートになっているのは、あまりにも悲惨だ。