どこもそうだと思うが、我が家のイヌもよく匂いを嗅ぐ。下のチビは私が帰宅するたびに飛びかかってきて私の頭や耳の辺りを嗅ぎまわし、「フンッ」と捨て台詞を残して去っていく。「確かに主人だ」とか「汗臭ぇなぁ」とか思っているのだろうか。


イヌが五感から情報を得る割合は、【嗅覚:聴覚:視覚:味覚触覚=4:3:2:1】の比率らしい。


一方人間では、【視覚:聴覚:嗅覚:触覚:味覚=83:11:3.5:1.5:1】だそうだ。


匂いや音を人間が15%ほどしか使っていないのに対してイヌは70%をそれらに依存している。


つまりイヌと我々人間にとっての「世界」はある意味重なる部分もあるが異なる部分のほうが大きいと言える。(カントの言うところの「物自体」は万人に共通するが、人間はそれをいかなる知覚によっても直接に知ることはできない、という前提で話を聞いて頂きたい)


そうすると意思疎通ができていると思っていた愛犬と私は互いを理解しているようでその実理解できていないことのほうが多い、と言えるかもしれない。なんだか悲しい話だ。


ところでここまで読んでお気づきかもしれないが、これは人間同士にも同じことが言える。五体満足な人間同士であっても使っている五感は異なる生体の器官によって認知されているものだ。さらに言えば同じ人であっても日々認知は変わっていく。あなたも「今日は鼻の通りが悪いな」という日があったり、「なんだか小さな音がやけに聞こえるな」という日があったりするはず。また加齢によっても認知は変わっていく(必ずしも「衰えていく」という訳ではない)。


自己と他者は本質的に理解しあえないものである。同じ景色を見ていようが、同じ音楽を聴いていようが、認知のされ方はあなたと誰かでは異なる。厳しい言い方になるかもしれないが、あなたと誰かはまずそれを共通認識として持っておく必要がある。


他者と本質的に理解しあえないと思ったら、あなたはどういう行動に出るだろうか。耳を塞いで暗い部屋に閉じこもるだろうか。たしかに二、三日はそうするかもしれない。しかし、やがてあなたは孤独の中でそれでも他者と共通する部分を見つけようとするだろう。そしてそれが見つかったとき、今まで以上に他者が愛おしく思えるようになるだろう。これを流行りの言葉で言い換えてみれは「多様性の尊重」になるのかもしれない。


少しばかり話が横に逸れてしまった。本題に戻そう。初めに示したように人間は8割以上の情報を知覚から得ているらしいのだが、スマホを朝から晩まで握りしめている私なんかは9割を超えているのではなかろうか。明らかに偏りすぎであり、歪な状態だ。


歪さはバランスを崩すことに繋がる。自分自身では豊富な知識で「世界」を正しく捉えていると思い込む奢りに繋がる危険がある。


そうならないためには、耳や鼻や舌や体全体をもっと鋭敏にして、様々な角度から「世界」に触れるようにすることが大切なのではなかろうか。たまにはゆっくりと眼を休めてラジオを聴いてみたり、植物園など訪れて草花の匂いの違いを確かめてみたり。そうすればイヌの「世界」に少し近づけるかもしれない。そして聴覚嗅覚味覚触覚から得た情報は、きっと私の、あなたの「世界」をより多様で豊かなものにしてくれるに違いない。