日本人はなぜ、怒らない?と、
たくさんの外国人の方に聞かれた言葉。
「革命を起こしてもおかしくない」とも言われ、
でも日本人は受け身で、静かに物事を受け止め、人に迷惑がかからないようにするー、
そういう民族だから・・・と、思うようにしてきた。
それが素晴らしい結果を生む時もあるけれど、
でも、今日のニュースは違うよね。
南相馬市の孤立死。
やはり怒りをあらわにしなくちゃいけない時もある。
だんだん薄れていく記憶と共に、福島のことを報道しない日本のメディア。
私が訪れた2月の福島でも時が止まったままだったよ。
それでも、いろんな人たちがどう頑張っていいかわからずに、頑張っていた。
福島は2回目だけど、訪れる度に、罵声を浴びせられる覚悟で行くのに、
決して、みんな私たちを責めない。
川内村が帰村宣言をしたけど、まだ、そんな時期ではないと思う。
帰ったところで、どうやって生活を成り立たせるの?
郡山に避難していた仮設住宅に住むご夫婦は、川内村で川魚料理の店を経営していたそう。
囲炉裏があって、ご主人が釣ってきた川魚をさばいて、食べさせる。
もともと大工さんだったご主人が、退職を機に、奥さんと始めたお店。
それが5年で消えてしまった。
「帰ったところで、誰が食べに来てくれる?」と言われ、言葉を失った。
ボケ防止といって、パイプやら、肩たたきやら、ツボ押しを作っていた。
その器用さに、「うまいですね~」といったら、「プロだもの」って笑ってくれた。
福島の人は優しい。
だからといって、そこに全てを押しつけたままでいいわけない。
福島の人たちに押しつけた全てのことは、何年後かに自分たちにも降りかかってくることを、どこかで忘れようと
していない?
もっと多くの人が、福島に出かけるべきだと思う。
何のために?
現実を知るために!
ずっとたまっていたもやもやが一気に吹き出した。
少し、元気になったから、
多少の非難も受けられそう。
外国の人たちが真剣に心配してくれているのに、
どうして、同じ日本人が知らぬ顔をしているのか。
何もできないけれど、考える一歩にはなる。
原発廃止運動も大切だけど、その前に、
現実に福島で、どう生きていいか迷っている人たちの声をもっと聞くべきなのでは?と思う。
「仕事があるって言われて、除染の仕事。なんで福島の人が自分たちで除染しなきゃいけないか」
それを聞いて、嗚咽した。
偽善者でもいいから、福島を何とかしようと
立ちあがる人がいたら、どんどん行動してほしい。
子どもたちもギリギリのところで我慢している。
富岡町から非難してきた小学生に、学童保育の先生に許可をもらい、前住んでいたところの話を聞いたら、
大粒の涙があふれ出した。
「帰りたい」って。
親の前でも、新しい学校の友達の前でも、絶対言ってはいけない言葉なんだろうと思う。
しばらくその子が泣きやむまで、そばを離れられなかった。
少し経って、元気になって、AKBのCDを見せてくれた。
全員の名前を教えてくれた。
彼女たちに少しでも笑顔を与えてくれるなら、AKBの存在も悪くないと思ったり、
何もできな私たちより、子どもたちの方が一生懸命何かを変えようとしていたり、
あきらめないで戦っていたり。
友人が郡山の子どもたちにコンサートを開くため、ボランティアをしていた。
郡山では、外で遊ぶ子はほとんどいない。
屋内施設には、子どもたちがあふれている。
そんな状況の国を作ったことを恥ずかしく思う。
それでも、私たちは、また明日、普通に生きていくんだろう。
ロシアンルーレットを続けながら。
明日は我が身なのに・・・。