各局、昨日からテレビ番組を一新。

さ~、その結果はどうでるのかな?


それにしてもTBSの「ひるおび」。

見事にアラフォーメンをそろえてのスタートだが、

今のイケメンをそろえられないので、

とりあえず、昔のイケメンをそろえたみたいな、


なんだかそれが、妙に古臭い感じがするのは

私だけ?


恵も高橋克典も同い年、高嶋政宏は一つ下、

生トークを見せられても、同窓会にでも呼ばれた気分。

だって、話もなんか内輪的な思い出話だったりさ~。

もともとしゃべりで勝負する人たちじゃないわけだし、

俳優をこれだけ起用する意味ってなんなんだろう?って

ちょっと思ってしまった。


かといって、小林麻耶がうまくニュースを読めていたかといえば、

否。プロとアマの差がなくなっているのが今のテレビの状況か?


どんどん自分の感覚が逆行してて、ここ1~2年、新聞を熟読することは

ほとんどなくなっていた私だけど、ここ最近、朝日新聞の夕刊に

はまっている。


インタビューものの人選も面白いく、幅広いし、

文章が何より、ちゃんとしている。

情報系もエンタメ、旅行、書籍、流行りもの、

グルメ、グッズなどバラエティに富んでいるし、

一応社会的なこともフォローできるし(こっちがメインか!)

株価情報もあるし、硬軟織り交ぜて、楽しめる読み物だ。

それが毎日、ほぼ同じ時刻に郵便受けに入っているのだから、

なかなかのサービスといえる。


そんなことを思っていたら、

昨日の夕刊「池上彰の新聞ななめ読み」で

新聞配達員の女性が電車にはねられてなくなった事故が

取り上げられていた。65歳になる女性は、バイクが転倒し、

落ちた新聞を拾い集めていた時に起きた事故だったという。

これ自体は、読売新聞の編集手帳に書かれていた記事。

そこにコラムの筆者が「命をかけて拾ってくれた芦高さんの

霊前で恥じることのない、心のこもった記事であったかどうか」

と自問している。


文章を書く仕事について、最初は自分の書く文章の責任の

重さや影響力について真摯に向き合い、書かせてもらっている

という謙虚な気持ちから、下調べや取材も必死にやっていた。


でもいつのまにか、流されるように、字数を埋めるように、

仕事をこなしている自分がいる・・・。


今、マスコミはかつてない大激震に見舞われている。

出版業界もお寒い状況だ。新聞がなくなる日などもささやかれる。


必要ないものとされるってことは、どこかで文章を書く私たちが

原点を忘れてしまったからじゃないだろうか。


自問自答をこめ、新聞熟読しばらく続きそうです。


P.S.昨日から気になっている昭和回帰。

昨日から、朝日の夕刊で、1年にわたり検証「昭和報道」が

スタートした。いろんな意味で昭和を振り返り、私たちが

築いてきた時代を反省するときに来ているのかもしれない。