こんにちは 西田です。
今日は「?」付きです。
自分はそうやっていても、それが正しいのか?多くの人にとって
良いことなのか?は不明だから?
商売、ビジネスを始める、続ける中で毎日が課題と言っていいのが、
誰に何を?どうしてあげられる?あげたい?
商売は【役に立つこと】【喜ばれること】だとして
喜ばれさえすればいいのなら「その」ジャンルにおいて
低次元のことでも「喜ばれ」はするわけです。
健康な食生活とかおいしい、とかの狭間には「喜ばれる」が種々横たわっていて
おいしいと健康があい矛盾することは多くを書く必要もないでしょう。
「健康」に対して、「本当は役に立つ」と勧める側が理解していても
勧められる本人がドアを開けていないのに
あの食べ物が、この産地が、こういう食べ方が、、、といっても
それは「喜ばれない」?
相手は「喜ぶ」「役に立った」と実感した時、や自分が喜べそう、
自分に役に立ちそうな時に対価を支払う。
としたら、喜ばれない、役に立ちそうもない、と感じられてしまう
「本当は役に立つはず‥の健康ななにがし」は売れない訳です。
ここに「儲け」への安易なアプローチが取れる分かれ道があります。
ジャンクフードでだって喜んでくれる。
「喜ばれて、儲かって自分もうれしい」
商売としてどこにも矛盾がない
「いやぁジャンクなのは知っているけど喜んでくれるからぁ」と言って
売る、これも「喜ばれている」
さぁ、これは間違っているのか?間違っていないのか?
だからこれは選択肢なんですね。生き方として。
僕が思うに、、
自分が薦めたい「○○」を喜んで聞く耳を持ってもらうためにはどうしたらいいか?
考えたり、頭悩ませたり、トライしたり
そこが商売の一つの醍醐味であって、間違わないやりかた、かと。
ドアが開いた人には時には表面喜ばれない「苦言」を言っても
本当のところで喜んでくれたりします。
で、そこまでできるのって、対象の人への愛情じゃないのかなぁって思います。
ジャンク売って喜ばれて、儲けが出て自分も喜ぶのって、
本質的には愛情がないんだよね、と思います。
で、それが間違いだらけの商賣感かなって。
愛情があれば、ジャンク食べさせて自分は喜べないでしょう?
すみません、当たり前すぎる話で
にしだ拝
