とりあえず、自分の整理のための日記なので、

意味不明な部分はご容赦ください・・・m(。。)m

こうして書いていくことで、少しずつ頭が整理されていきます。


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誕生日を迎えてはや一ヶ月になる。

月日の流れるのがはやすぎる・・・。


先月は結果的にはまるで憑き物でもついてたかのようにおかしかった。

心身ともに。

おかしいというか、自分のそれまで持っていたアイデンティティが瓦解した瞬間というべきか。


それなりに人生を歯を食いしばって生きてきた。

それなりにいろんな経験をして、うれしい思いもくやしい思いもしてきた。

それなりに自分なりの立ち振る舞いが確立していて、それで人生を乗り切っていた。


でも、そういった考え方が一切効かない世界。

むしろそれがよもすると悪だとみなされる世界。

自分の常識がことごとく非常識かもしれないと錯覚する世界。


簡単にいえば、自分の好きなようにやったもの勝ちな世界。

いやもちろん、きっとそれを意識してやってる人なんていないと思う。


そしてわざわざ人が嫌がることを平然とやってのける人なんてそうそういない。

悪意をもって他人に嫌がらせする人であれば諦めもつく。

だが、結果的に悪意がないこと=意識していないことが最悪のシナリオなこともある。


人のことを考えれば考えるほど、裏目に出る世界。

そういったなんとも残念な掛け違えの展開が交互に発生したのではないかと思う。


でも、そういった状況に置かれている混乱している自分と、

それを冷静に横から見ている自分が普段ならいつもいる。

職業柄しょうがないといえばそれまでだが。


だから、今回は実は冷静に横から見ている行為を

あえて封印して、真っ向から突っ込んでみた。


結果、散々だった(笑)

でも、その結果をあらためて後から振り返って見てわかったことがある。


真っ向から向かった、という自分のまっすぐさが他人の考えを

ねじまげるまっすぐさだとすれば、それは他人にとってどうなるか。


いつもカウンセリング的側面で自分にブレーキをかけているから

普段ならまずこんなことにならないが、今回は結果的に

他人のアイデンティティを脅かしてしまったのだと考える。

その反動で転移が起こり、それがもろにカウンターで飛んできたのかもしれないと考えた。


そのカウンター攻撃を簡単にいうと、「人に無関心でありすぎる

ための人への依存性」、とでも言えばいいのだろうか。


無関心であることは、すなわち信頼関係がないことを意味する。

人を信頼することは人間関係を構築するための必須事項であり、

その地盤ができない限りは、人を心から信用することはできない。


その人間がどういう感情でいるのかに対して

疑心暗鬼でいる限りはいつまでたっても先は見えない。

人を信じないから、自分も信じられない。


いくら好意的な態度を取る人間がいるとしても、

信頼できていなければすべてが悪意に見える。


悪意がある人にだまされる人は、その人を信頼しているから。

むしろその人は悪意そのものさえ意識しないで相手を信用出来るんだと思う。


その人に悪意があるかどうかが問題ではなくて人を信じられるかどうか、かもしれない。

良い意味でも悪い意味でも人を信じる、というのは何かしら重要なキーである気がする。


さて、その予期しないカウンターが飛んできて、私も逆転移しそうになった。

でも、結果的には逆転移の前に転移そのものの感情攻撃が、むしろ転移が

ない前の状況よりも心地よくて、そこで戦意喪失した、という感じかもしれない。


人間って不思議なもので、人が感情的になればなるほど、冷静になっていく場合がある。

もちろん暴言を浴びせまくって喧嘩してる人もいるが、

それも相手がいるからできるわけで、相手がいなくてはできない。


いずれにしても、この複雑な感情の動きはとても

新鮮な感覚があり、良くも悪くも同時に自分も血の通った人間

だったんだなぁとも感じるきっかけになり、良かったと思う。


ここのところは、とても心身ともに安定している。

またいつも通り、シールドを装備しなおして。


次にシールドを外すときはいつになるのだろうか。

ただ、シールドを外してもダメージを受けないように

しっかりとした準備をしておこうと思う。