母への想い。 | HARUKI 御朱印と音楽のブログ♪

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オリジナル音楽と御朱印巡りのブログを書いて行きます。

音楽はDTM、DAW、オリジナル曲、
DAWはSteinberg Cubase Pro9を使っています(^^)
御朱印は東京と関東近県の神社、神宮など(^^)

こんにちは(o^ ^o) /

東京は連日の猛暑・・・
すでに夏バテ気味・・・
 
この夏を乗り切る自身の無いHARUKIです><
 

さて、
今日はちょっと自分の作る歌の事を(^^)
 
あんまり、ってか
全然面白くない話なので(笑)、
興味の無い方はどうぞスルーして下さいw
 

いつもオリジナル曲を作ってアップしたりしてますが、、

結構暗い歌が多いのに気付いてましたか?(笑)

生きてる意味がどうとか、
どこに向かえばいいとか、

なんとか、かんとか(笑)
かなりネガティブな歌詞が多いですw


20年前の出来事がきっかけで、
そんな歌を作る事が多くなりました。


20年前の出来事、
それは「母の死」です。


母が死んで20年になりますが、
いまだ母の死を乗り越えられずにいます。


母が死んで以来、
曲を作れば母の事ばかり・・・(笑)

あ、
もちろん、普通の曲も作ってますよ(^^)
ただ、母への想いを綴る曲の方が
圧倒的に多くなった、と言う事です(^^;

 
 
僕は母子家庭で育ちました。
早く独り立ちしたかった僕は、高校卒業と同時に
故郷の青森を飛び出します。

母に、
「そんなに急いで東京に行かなくてもいいじゃないか。
お金なら何とかするから大学に行ってくれないか」
と引き止められました。
 
若かった僕は聞く耳無し、
母の気持ちも全く考えず強引に上京。
 
上京後も、心配や苦労ばかりかけましたね。
「ドラ息子」を地で行く、本当にしょうもない奴でした。
 
上京してから母が死ぬまで10年ありましたが、
その間、母に会ったのは、たったの6、7回。

逝く2年くらいに前に母が入院し、
その時は見舞いに帰省しました。

入院していたものの、
その時はいたって元気でした。
 
当時、若かった事もあって、
「人の死」を身近に感じていなくて、
親もいつまでも元気なものだと、
当たり前のように思っていました。
 

そして、
死の1ヶ月前、兄から「また入院した」と連絡が。
 
実は、入退院を繰り返していた事は聞いていて、
だけど、その都度帰る事はしませんでした。
 
なにせ、青森は遠く、
当時、新幹線はまだ盛岡が終着。
車なら、飛ばして8時間・・・
 
時間も掛かればお金も掛かる・・・
それが、なかなか帰省出来ない理由でもありました。
 
入院の連絡があった時、
今までみたいに、きっとすぐに退院できるかな、と軽く考えていました。
 
ところが、翌日また兄から連絡が。
「いいから、今すぐ青森に帰って来い」と。

嫌な予感がしましたね。
会社に無理を言って休みをもらい、青森まで車を飛ばしました。
病院に到着し、まずは母の顔を見に病室へ。
母は僕の顔を見てとても驚いて、
「なんだ、春樹まで来たのか」ととても喜んでくれました。

母の顔を見てまずは一安心。
ですが、母はすっかり衰えていて、
不安が一気に膨れ上がりました。
 
母に面会したあと、兄と一緒に医師の部屋に行き、
母の病状の説明を受けました。


「末期がんです。
脳への転移が深刻です。
手の施しようがありません。
もって、、、3週間でしょう・・・」
 
 
は?
え?
うそだろ?

耳を疑いました。
 
余命がたったの3週間?
「3年」とかじゃないの?
 
 
しばらくの沈黙のあと、、
僕はその場に崩れ落ちました。
 
そして、医師の膝にしがみつき、

「なんでもいいから、母を治して下さい。
お願いです、お願いです。」
 
と懇願しました。
 
 
しかし、
願いは届かず、医師の宣告通り、
3週間後に母は去りました。
 
享年58歳。
僕が28歳の時です。
 
さっきも言いましたが、
「人の死」は、
ドラマとか映画の中で起こるものであって、
どこか他人事のように思っていました。
 
 
まさか自分の身の回りで、しかも母がこんなに早く死ぬなんて、
まったく想像もしてなかった。
 
 
余命の3週間、
日に日に母は弱って行き、
脳への転移が原因で、幻覚や幻聴、
記憶障害もひどく、
最期の方は僕が息子である事も
分からなくなっていました。
 
 
伝えたかった
 
「ありがとう」
「ごめんね」
「しっかりするよ」
 
他、たくさん、、、
 
何も伝えられなかった。
親孝行も、ただの一度もしてません。
 

残された僕は、
その後も母の死を受け入れられず、
ずっとずっと後悔と懺悔に明け暮れるばかり。
 
まるで抜け殻のように、
自分が情けなく、
自己嫌悪し、
自分を卑下し、
絶望し、
未来に希望が持てず、、、
 
20前のあの時から、
僕の中で時計が止まっている、
そんな感じです。


人は生まれた瞬間から、
死に向かっている。
 
生きとし生けるものの宿命、
それが「死」です。
 
人は必ず死ぬのです。
 
だけど、「いつ死ぬ」かは分かりません。
 
だから、日々を精一杯生きなければダメなんだ・・・

20年かかって、やっと、
前を向いて生きて行く気持ちを持てるようになってきました。
 
今、元気に生きている事に感謝し、
精一杯前を向いて生きる、
 
それが今出来る唯一の親孝行なんだ、
やっとそう思えるようになりました。
 
 
その矢先、
昨年、大好きだった、
大の仲良しだった兄が急死。
 
兄の死の数か月前、
つまらない事で喧嘩をし、僕は散々に兄に悪態を
付いてしまいました。
 
その後一言も話す事なく、兄は49歳の若さで急死。
 
「人の死」はいつ訪れるか分かりません。
母の事で分かっていたつもりなのに、、、
 
兄に、
喧嘩したあと「悪かった」と謝っておけば良かった・・・
 

だけど、
悔やんでも何も変わらない。

兄の分まで前を向いて生きよう、
それがきっと供養になる。
母の死から学んだ事です。
 

 母の死を目の当たりにし、
「死」は決して特別な事ではなく、
誰しも背中合わせなのだと、
それ以来思うようになりました。

生きている事じたい、それは奇跡に
近い事で、とてもありがたい事です。

母の死、そして兄の死、
その悲しみは消える事はないでしょう。

だけど、
後ろばかり見ていては生きている意味が
ありません。
前を向いて生きる事が、
今を精一杯生きる事が、
今生きている事への感謝が、
何よりも母や兄に対する供養なのだと、

やっと思えるようになりました。


いやいやwww、すみませんね笑い泣き
暗い話になってしまいましたね〜〜(笑)、
 

僕の作る歌の歌詞が暗いのは、
母の事を思って作るから、なのです(笑)

「ちょっと精神が病んでるのか?www」
ってなもんですよねてへぺろ

 
これからも、
暗い歌を作る事が多いと思いますが(笑)、
あぁ、また例のやつだな、
と思って頂ければ幸いですwwwチュー
 
 
長々とお付き合い、
ありがとうございました(^^)
 
 
さて、
週末にまた暗い歌をアップしたいので、
ミックス頑張ります爆笑爆笑爆笑