今でも、あの感覚ははっきりと身体に刻まれている。
幼い頃、風呂に入る担当が父であると知った瞬間、私は全身の血の気が引いた。呼吸が浅くなり、手足の先が冷たくなった。
恐怖だった。命の危険を感じていた。
私は生きていられるのか、それだけを考えていた。
それでも「嫌だ」と言葉にすれば、「うるせえ」「黙れ」と一蹴されるのが分かっていた。拒絶は意味を持たなかった。
そもそも力で敵わないので、全力で対抗したが無駄だった。
浴室の湿気と熱気の中、私は父の手で何度も顔を湯の中に押し込まれた。
息ができない。口の中に湯が入り、喉をふさがれ、声は塞がれた。叫んでいるのに声にならない。声が出ない。助けてと言えない。あの感覚ははっきりと覚えている。
私は何も言えなかった。ただ、されるがまま。助けを呼ぶこともできなかった。
誰にも話せなかった。
話したところで、信じてもらえる保証はなかった。
助けを求めても届かない、助けを呼ぶ声すら出せない
助けを求めてしまったらなぜか私が怒られる――それが、この家で生きるということだった。
私は、私の心も身体も、すでに自分のものではないと、どこかで悟っていた。
この家では、沈黙こそが生き残る唯一の方法だったのだ。
首藤はるか