私が小学4年生くらいの頃だった。ある日、父が突然ペットショップで高価な犬を買ってきた。私はただ「犬を飼うんだ。かわいいな」と思っただけで、特に深く考えなかった。
けれど、兄①(一番上の兄)はひどく怒っていた。「こんなの買って、信じられない」と言っていた。私は当時はその理由がよくわからなかったけれど、今ならわかる。父と母の経済状況や家庭の状況を見て、兄には「今、犬なんて飼っている場合じゃないだろう」という感覚がはっきりあったのだと思う。私よりもずっと早く、家庭の不安定さや、両親の生活能力に不信感を抱いていたのだろう。
父は、ある時期から毎日のように、犬に壮絶な暴力を振るうようになった。
犬の顔を硬い床に押し付け、さらにそのまま床に顔を強く押しつけ、擦りつける。何度も、何分も、執拗に。犬は苦しそうに、悲鳴のような声で「キャン!キャン!」と鳴いた。恐怖と痛みに震えながら、それでも逃げられず、ただされるがままだった。
私は、それを目の前で見ていた。ただ、見ていることしかできなかった。
耳を塞いで、その場を離れることしかできなかった。犬を守れなかった。何かを言えば、今度は自分がその対象になるとわかっていた。怖かった。小さかった私は、父の異様な怒りと暴力の前では何もできなかった。私は卑怯者だ。弱い犬の命より自己保身を優先したのだ。
なぜ母は、黙って見ているのかと何度も思った。
配偶者である夫がそのような虐待行為を、私たち子供がいる前で平然と行っているのだ。
首藤家の空気は、静かで、冷たくて、暴力的で、おぞましかった。
普通の家庭の「日常」とは程遠い、けれどそれが当たり前のように続いている。そんな異常な日々の中で、私は心を殺して生きていた。
助けて、と言えなかった。
やめて、と叫ぶこともできなかった。
無力だった。あの頃の私は、ただ無力だった。
父が犬に執拗な暴力を振るうようになった頃、私は母に「なぜ止めないのか」と尋ねたことがあった。
そのとき母は、ぽつりとこう言った。
「父さんは犬をちょっと“いじって”るだけだから」
――いじる?
いじるって、なんだ?
犬の顔を床に押しつけて、悲鳴をあげても何度も床に擦りつけて、苦痛と恐怖を与え、怯え切った声で悲鳴を上げさせることが、“いじる”だって?
そんな言葉で、事実をぼかそうとするな。
それは「身体的虐待をする」「執拗な暴力を振るう」「弱い命を痛めつける」という、まぎれもない卑劣な蛮行だ。
その事実を、たったひと言の曖昧な言葉で塗り替えられると思うな。
自分の夫が、無抵抗な命を虐げる人間だと認めたくなかったのか。
見て見ぬふりをして、言葉をごまかせば、なかったことになるとでも?
でも私は、全部見ていた。聞いていた。
あの家の中にあったのは、「異常」だった。
それを隠して守ることに、なんの意味があるのだろう。
そして、兄の怒りや不安は的中した。やがて家業が傾き、私たちは両親に連れられ夜逃げ同然で家を出ることになった。犬も連れては出たが、新しい生活先では飼うことができず、最終的には知人の家に引き取ってもらうことになった。
首藤はるか